日本煉瓦製造(株)『日本煉瓦100年史』(1990.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治30年(1897) - 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 渋沢関係略年譜
3月 カンマー式煉瓦乾燥機の導入をはかる 当社の歩み
3月 貨幣法公布(金本位制実施) 業界・一般
6月 初配当(年一割)実施 当社の歩み
8月 専用鉄道の運転について日本鉄道会社と契約 当社の歩み
12月 第四号ホフマン輪窯完成 当社の歩み
12月 諸井恒平、カンマー商会に抗議(乾燥機不良のため) 当社の歩み
- 日清戦争後の洋風建築ブームは煉瓦需要を旺盛にし、各地に工場の新設・増設が相次いだが、たちまち経済界の困難に直面、煉瓦業界も恐慌をきたし倒産するものが続出した 業界・一般
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
4月 合名会社大倉組札幌支店支配人岩尾東粋および東京神田区の菅谷四郎松などと特約販売店契約を結ぶ 当社の歩み
6月 カンマー式乾燥機を浅野セメント会社に譲渡 当社の歩み
6月 大洪水により数十日間休業 当社の歩み
- 大阪窯業社、機械製煉瓦製造開始 業界・一般
- 煉瓦業協会設立、諸井恒平幹事長となり事務所を当社内に置く 業界・一般
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
6月 新商法施行 業界・一般
7月 原土混和機新設 当社の歩み
7月 東京商業会議所竣工(妻木頼黄設計) 業界・一般
8月 森田嘉四郎との煉瓦川舟運送請負契約を解除 当社の歩み
9月 本社を日本橋区小網町から同区三代町六番地に移転 当社の歩み
10月 北海道幌内炭の購入を常磐炭に切り替える 当社の歩み
11月 上武鉄道(秩父鉄道)会社設立 業界・一般
- 第四号窯操業開始 当社の歩み
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