日亜製鋼(株)『日亜製鋼五十年史』(1960.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
8月 会社経理応急措置法により特別経理会社となる
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
10月 砂川分工場を深江分工場に合併
12月 額田作業所を枚岡分工場に合併
昭和23年(1948) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 渋沢関係略年譜
2月 過度経済力集中排除法による指定をうける
7月 持株会社整理委員会より持株処分指令をうける
7月 同上指令による持株処分案を公正取引委員会に提出
8月 企業再建整備計画認可申請書を商工、大蔵両大臣に提出
9月 同上[企業再建整備計画認可申請書]認可あり
10月 尼崎工場第1号平炉再開初出鋼
11月 過度経済力集中排除法による指定取消
昭和24年(1949) - 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 渋沢関係略年譜
1月 神崎工場を買収
2月 企業再建整備法の決定整備計画にもとづき資本金6,000万円に増加、新旧勘定併合
2月 特別経理会社免除
2月 決定整備計画の全部の実行が終り特別管理人に関する登記抹消
3月 公正取引委員会より全株太陽株式継続所有の許可
10月 尼崎工場より磨帯鋼設備を神崎工場に移転拡張
10月 尼崎工場平炉3基整備、2基稼働、月産1万トンとなる
11月 資本金1億2千万円に増加
昭和25年(1950) - 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 渋沢関係略年譜
3月 東京事務所を東京営業所に改称
4月 第1次資産再評価
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