日本鋳造(株)『日本鋳造50年史』(1970.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
- (この年)製鉄鋼会社続々と設立され、民間鉄鋼業急激に膨脹する 鉄鋼業界の動き
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
2月 日本鉄鋼協会発足する 鉄鋼業界の動き
6月10日 第36議会において八幡製鉄所ベンゾール工場建設費および第2厚板工場増設費376万円を可決 鉄鋼業界の動き
11月 日本特殊鋼設立される 鉄鋼業界の動き
12月4日 東京株式市場暴騰(いわゆる大戦景気のはじまり) 主なる社会の動向
- (この年)第7区約7万坪の埋立完成する(のち一部は旭硝子の所有地となる) 日本鋳造のあゆみ
- (この年)戦時需要増加により鉄鋼業好調に向かう 鉄鋼業界の動き
- (この年)中日実業、裕繁公司との間に鉄鉱売買契約を締結。これによりはじめてわが国と桃冲鉄山との特殊関係が生じる 鉄鋼業界の動き
- (この年)このころより翌5年初頭にかけ、鉄鋼業確立に関する方途、真剣に討議される 鉄鋼業界の動き
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月 川崎町海岸若尾新田11万7千坪の埋立完成する。(現在、日本鋼管京浜製鉄所用地) 日本鋳造のあゆみ
1月 機械学会・造船協会・電気学会・火兵学会・日本鉄鋼協会が「鉄鋼の独立自給策について」討議 鉄鋼業界の動き
1月 島岡亮太郎「本邦製鉄事業の統一に関する意見」を発表する 鉄鋼業界の動き
2月12日 八幡製鉄所第3期拡張費、衆議院で可決 鉄鋼業界の動き
2月20日 衆議院「枝光製鉄所官民共同経営に関する建議案」を可決 鉄鋼業界の動き
2月24日 貴族院「製鉄事業調査機関設置に関する建議案」を可決 鉄鋼業界の動き
4月15日 横浜造船所設立される 鉄鋼業界の動き
4月 鶴見の埋立地に横浜造船所(資本金375万円)創立される。(のち同年12月に株式会社浅野造船所と改称) 日本鋳造のあゆみ
4月 イギリス、鉄鋼禁輸を断行 主なる社会の動向
4月 唐津鉄工所設立される(竹内鉱業から独立) 鉄鋼業界の動き
5月6日 製鉄事業調査会官制公布される(12月21日同調査会廃止される) 鉄鋼業界の動き
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