日本鋳造(株)『日本鋳造50年史』(1970.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
嘉永3年(1850) - (この年)杉谷雍助、砲身製造のため佐賀藩の洋式反射炉の築造に着手する(1852年に完成―洋式機械工業のはじまり) 鉄鋼業界の動き
嘉永4年(1851) - (この年)鹿児島藩、製錬所を設け化学器械の製造を始める 鉄鋼業界の動き
嘉永6年(1853) 1月 江川太郎左衛門、下田郊外中村に反射炉の築造を着手。翌1854年12月韮山に移転完成する 鉄鋼業界の動き
8月 幕府、江戸湯島に鋳砲場を設置 鉄鋼業界の動き
11月 幕府、浦賀に造船所を建設 鉄鋼業界の動き
11月 佐賀藩、火術局・製錬局を設置し鋳砲・製艦にのり出す 鉄鋼業界の動き
嘉永7年(1854) - 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍問屋業に精励。〔14歳〕 渋沢関係略年譜
6月 幕府に大砲鋳立届けを出した大名225、計1657門 鉄鋼業界の動き
6月 これより各藩で反射炉の築造さかんになる 鉄鋼業界の動き
12月 水戸藩、江戸石川島に造船所を建設する 鉄鋼業界の動き
安政2年(1855) 11月21日 大島高任、水戸藩の反射炉を築造する(火入れ成功―製鉄技術の先駆者) 鉄鋼業界の動き
安政3年(1856) - 【渋沢栄一】父の代理で領主安部摂津守の岡部の陣屋で用金の命を受ける。代官が傲慢で栄一を侮蔑、圧制に痛憤し封建の弊に強烈な反感を持つ。〔16歳〕 渋沢関係略年譜
3月4日 大島高任、水戸藩反射炉で石炭を用いて銑鉄の溶解に成功する(鉄製レトルトにより石炭を乾溜してコークスを製造し反射炉に使用) 鉄鋼業界の動き
安政4年(1857) 12月1日 盛岡藩、大島高任の指導により釜石鉱山でわが国最初の洋式高炉に火入れ(燃料は木炭) 鉄鋼業界の動き
文久元年(1861) - 【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕 渋沢関係略年譜
3月28日 幕府、長崎飽の浦に熔鉄所を設置、蘭法製鉄をはじめる(8馬力の蒸気ハンマー、15馬力の工作機械用蒸気機関を設備、のちの長崎製鉄所・長崎造船所) 鉄鋼業界の動き
文久3年(1863) - 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 渋沢関係略年譜
- (この年)幕府、関口に大砲製作所を設置(のちの東京砲兵工廠) 鉄鋼業界の動き
慶応元年(1865) - 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡歴。〔25歳〕 渋沢関係略年譜
8月24日 幕府、横浜に製鉄所を設置 鉄鋼業界の動き
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】徳川昭武に従ってフランスへ出立(パリ万博使節団)。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
10月14日 15代将軍徳川慶喜、朝廷に大政奉還(徳川幕府の滅亡、武家政治の終焉) 主なる社会の動向
12月9日 朝廷、大政復古の大号令を宣し、維新政府を樹立 主なる社会の動向
慶応4年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、静岡で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
3月14日 五カ条の誓文、政体書など新政府の基本方針を発布 主なる社会の動向
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】静岡藩に「商法会所」設立。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
11月10日 政府、東京・京都(中仙道経由)間、東京・横浜間、京都・神戸間、琵琶湖・敦賀間の鉄道建設を決定 鉄鋼業界の動き
- (この年)洋鉄の輸入開始 鉄鋼業界の動き
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