日本鋳造(株)『日本鋳造50年史』(1970.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治23年(1890) - 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 渋沢関係略年譜
- (この年)横須賀海軍造兵廠、重油燃料によりフランス式小型酸性平炉作業開始 鉄鋼業界の動き
明治24年(1891) - 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 渋沢関係略年譜
6月5日 横浜船渠会社設立許可される(のち昭和10年三菱重工業に合併) 鉄鋼業界の動き
明治25年(1892) - 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 渋沢関係略年譜
6月21日 三井鉱山設立許可される 鉄鋼業界の動き
6月28日 内閣に製鉄事業調査会設置される(のち農商務省所管となり、全国主要鉄山埋蔵量1,600万トンと報告) 鉄鋼業界の動き
- (この年)政府、製鉄所建設計画のため、原料・技術・その他各方面にわたる精細な調査に着手 鉄鋼業界の動き
明治26年(1893) - 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 渋沢関係略年譜
6月 鉄道院神戸工場、最初の国産蒸気機関車を製造する 鉄鋼業界の動き
明治27年(1894) - 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 渋沢関係略年譜
8月1日 日清戦争はじまる 主なる社会の動向
8月 釜石鉱山田中製作所、コークス製銑技術に成功する 鉄鋼業界の動き
10月 閣議、農商務省所管のもとに製鉄所の設立を決定 鉄鋼業界の動き
11月 釜石鉱山田中製鉄所、旧工部省の25トン高炉を改修、火入れに成功する 鉄鋼業界の動き
明治28年(1895) - 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 渋沢関係略年譜
2月4日 自由党栗原亮一ら提出の製鉄所設立建議案を、衆議院で可決 鉄鋼業界の動き
- (この年)大阪砲兵工廠で水道鉄管の鋳造を始める 鉄鋼業界の動き
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
3月27日 大阪砲兵工廠(陸軍省所管)で塩基性平炉(3トン)の操業を開始 鉄鋼業界の動き
3月28日 第9議会において官営製鉄所創立費4,095,793円40銭を可決 鉄鋼業界の動き
9月28日 浦賀船渠設立される 鉄鋼業界の動き
10月1日 川崎造船所設立される(旧川崎造船所の改組、のちの川崎重工業) 鉄鋼業界の動き
明治30年(1897) - 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 渋沢関係略年譜
2月5日 農商務省、福岡県八幡村に製鉄所建設を決定 鉄鋼業界の動き
4月1日 住友家、日本製鋼を買収し、住友伸銅場を開業する(住友金属工業の前身の1。のち明治32年8月大阪製鋼を買収) 鉄鋼業界の動き
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
6月20日 第12議会において官営製鉄所創立費追加予算6,474,056円を可決 鉄鋼業界の動き
11月3日 大阪舎密工業会社、ソルベー式副産物回収コークス炉の運転開始(16炉) 鉄鋼業界の動き
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