住友金属鉱山(株)『住友別子鉱山史. 別巻』(1991.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
嘉永6年(1853) - 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 渋沢関係略年譜
6月3日 ペリー来航 住友・一般
11月 嘉永4年以降の買請米1石50匁払下げを松山藩に出願、以後毎年出願し文久3年まで許可 別子
- この年新居浜浦塩浜の惣開新田5町歩余開発 別子
安政元年(1854) 3月3日 日米和親(神奈川)条約締結 住友・一般
11月5日 安政の大地震により三角水没、翌年4月の地震も水没に拍車 別子
安政3年(1856) - 【渋沢栄一】父の代理で領主安部摂津守の岡部の陣屋で用金の命を受ける。代官が傲慢で栄一を侮蔑、圧制に痛憤し封建の弊に強烈な反感を持つ。〔16歳〕 渋沢関係略年譜
11月 幕府普請役副田元右衛門ら涌水見分 別子
安政4年(1857) 5月 米国と下田条約、翌年6月、日米修好通商条約調印 住友・一般
7月 西洋ポンプ排水実験開始(失敗)、9月銅座に不採用を上申 別子
8月29日 日蘭追加条約でオランダへの銅輸出禁止 住友・一般
12月 排水工事助成銀300貫目拝借を銅座へ出願 別子
安政6年(1859) 1月 排水工事助成金7500両拝借許可 別子
6月 横浜開港 住友・一般
7月14日 英・米・オランダに銅器輸出禁止通告 住友・一般
文久2年(1862) 8月 [閏8月]御用銅値段100斤に付銀314匁余に引き上げ 別子
8月 長崎御用銅定高を93万斤に減額 住友・一般
文久3年(1863) - 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 渋沢関係略年譜
6月 稼人賃銀の引き上げ 別子
10月 御用銅の値上げを幕府(銅座)に出願 別子
12月 買請米3700石加増と代銀値下げを出願 別子
元治元年(1864) - 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 渋沢関係略年譜
1月 別子地売銅値段697匁余に引き上げ、幕府、代銀を金(1両60匁)で支払うと通達 別子
8月 第1次長州の役 住友・一般
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