※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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天正18年(1590) | - | 蘇我理右衛門、京都に銅吹屋を開設し、慶長年間(1596~1615年)南蛮吹の技術を実用化 | 住友金属鉱山株式会社 |
慶長8年(1603) | 2月 | 江戸幕府開設 | 住友・業界・一般 |
元和9年(1623) | - | 住友家第2代友以、大坂内淡路町に銅吹屋を開設 | 住友金属鉱山株式会社 |
寛永13年(1636) | - | 住友家、大坂長堀に銅吹屋を開設 | 住友金属鉱山株式会社 |
延宝8年(1680) | - | 住友家、備中(現岡山県)吉岡銅山の稼行を開始 | 住友金属鉱山株式会社 |
元禄4年(1691) | 5月9日 | 住友家、江戸幕府より別子銅山の稼行許可を取得 | 住友金属鉱山株式会社 |
元禄7年(1694) | 4月25日 | 別子銅山で大火災発生、焼死者132人 | 住友金属鉱山株式会社 |
宝暦12年(1762) | - | 住友家、別子銅山に隣接する立川《たつかわ》銅山を統合し、両山の手稼行を開始 | 住友金属鉱山株式会社 |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 大政奉還 | 住友・業界・一般 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月3日 | 鳥羽・伏見の戦い起こる | 住友・業界・一般 | |
1月 | 別子銅山、明治新政府軍により一時封鎖 | 住友金属鉱山株式会社 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 政府、鉱山心得を公布 | 住友・業界・一般 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 日本坑法公布(同年9月施行) | 住友・業界・一般 | |
12月27日 | 日本坑法により別子鉱山の仮坑区券交付 | 住友金属鉱山株式会社 | |
- | この年から別子鉱山と称する | 住友金属鉱山株式会社 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 別子、フランス人鉱山技師ルイ・ラロックを迎え、別子山の近代化に着手 | 住友金属鉱山株式会社 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月23日 | 住友家、「家」と「店」を分離し、近代的企業経営を推進 | 住友金属鉱山株式会社 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 別子、東延斜坑の開さくに着手(1895年10月竣工) | 住友金属鉱山株式会社 | |
9月 | 住友家、「本家第一之規則」を制定、別子鉱山が住友家の財本であることを明文化 | 住友金属鉱山株式会社 | |
9月 | 住友家、大阪鰻谷の長堀銅吹屋を廃止 | 住友金属鉱山株式会社 |