住友金属鉱山(株)『住友金属鉱山社史』(2015.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
天正18年(1590) - 蘇我理右衛門、京都に銅吹屋を開設し、慶長年間(1596~1615年)南蛮吹の技術を実用化 住友金属鉱山株式会社
慶長8年(1603) 2月 江戸幕府開設 住友・業界・一般
元和9年(1623) - 住友家第2代友以、大坂内淡路町に銅吹屋を開設 住友金属鉱山株式会社
寛永13年(1636) - 住友家、大坂長堀に銅吹屋を開設 住友金属鉱山株式会社
延宝8年(1680) - 住友家、備中(現岡山県)吉岡銅山の稼行を開始 住友金属鉱山株式会社
元禄4年(1691) 5月9日 住友家、江戸幕府より別子銅山の稼行許可を取得 住友金属鉱山株式会社
元禄7年(1694) 4月25日 別子銅山で大火災発生、焼死者132人 住友金属鉱山株式会社
宝暦12年(1762) - 住友家、別子銅山に隣接する立川《たつかわ》銅山を統合し、両山の手稼行を開始 住友金属鉱山株式会社
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
10月 大政奉還 住友・業界・一般
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
1月3日 鳥羽・伏見の戦い起こる 住友・業界・一般
1月 別子銅山、明治新政府軍により一時封鎖 住友金属鉱山株式会社
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
3月 政府、鉱山心得を公布 住友・業界・一般
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
7月 日本坑法公布(同年9月施行) 住友・業界・一般
12月27日 日本坑法により別子鉱山の仮坑区券交付 住友金属鉱山株式会社
- この年から別子鉱山と称する 住友金属鉱山株式会社
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
3月 別子、フランス人鉱山技師ルイ・ラロックを迎え、別子山の近代化に着手 住友金属鉱山株式会社
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
12月23日 住友家、「家」と「店」を分離し、近代的企業経営を推進 住友金属鉱山株式会社
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
7月 別子、東延斜坑の開さくに着手(1895年10月竣工) 住友金属鉱山株式会社
9月 住友家、「本家第一之規則」を制定、別子鉱山が住友家の財本であることを明文化 住友金属鉱山株式会社
9月 住友家、大阪鰻谷の長堀銅吹屋を廃止 住友金属鉱山株式会社
PAGE TOP