※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治24年(1891) | - | 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 大津事件 | 世の中のできごと | |
- | 大阪の成川春松氏が、ハンダの行李行商を始める | ハンダ業界 | |
明治27年(1894) | - | 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 日清戦争始まる | 世の中のできごと | |
- | 日清戦争のため、ハンダの需要高まる | ハンダ業界 | |
明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 治安警察法公布 | 世の中のできごと | |
3月 | 産業組合法公布 | 世の中のできごと | |
- | 東京の山田半田製造所創業(現浅見社長の母方の祖父である山田愛治が、東京の3大銅鉄商の一つ、日本橋大門町の「銅徳」こと矢島徳右衛門商店から独立、「つぶし屋」を始める 当時、たばこの銀紙の錫・鉛が材料の一つであったが、それをつぶし溶かすのをつぶし屋という) | ハンダ業界 | |
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 日露戦争始まる | 世の中のできごと | |
2月 | 日韓議定書調印 | 世の中のできごと | |
- | 軍隊の携帯食糧として食料缶詰の需要が増大し、ハンダの売れ行きが伸びる 戦後、銅製品やしんちゅう製品などが一般家庭用品に向けられ、トタン板の製造等が伸びる 国内材料が底をつき、中国の錫スクラップに依存する | ハンダ業界 | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | ハレー彗星、地球に最接近 | 世の中のできごと | |
7月 | 第2回日露協約調印 | 世の中のできごと | |
8月 | 韓国併合 | 世の中のできごと | |
- | ●先々代浅見源吉社長、「浅見商店」として個人創業(現台東区東上野) | ニホンハンダ | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 桂内閣、内閣不信任案と民衆のデモにより総辞職 | 世の中のできごと | |
6月 | 陸・海軍省官制各改正公布(現役の軍人も大臣・次官になれるものとする) | 世の中のできごと | |
6月 | 森永製菓、ミルクキャラメルを発売 | 世の中のできごと | |
- | (1913年ころ(大正初期))このころ、東京の箭野実氏が、自転車の荷台にハンダを載せて原町田方面のブリキ屋への訪問販売を始める | ハンダ業界 | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | ラジオ試験放送開始(本放送は7月開始) | 世の中のできごと | |
4月 | 治安維持法公布 | 世の中のできごと |