清水建設(株)『棟梁から総合建設業へ : 清水建設200年の歴史』(2003.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和14年(1939) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 渋沢関係略年譜
- 清水式無音無震動基礎杭工法、フラッシュバット式電気溶接法を開発 当社のあゆみ
- 第二次世界大戦勃発 社会の動き
昭和16年(1941) - 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 渋沢関係略年譜
- 太平洋戦争勃発 社会の動き
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
- 本店を本社、店員を社員と呼称変更 当社のあゆみ
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
- 設計部に研究課を創設 当社のあゆみ
- 学童集団疎開始まる 社会の動き
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
- 東京大空襲 社会の動き
- 広島・長崎に原子爆弾投下 社会の動き
- 8月終戦 社会の動き
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
- 清水組職員組合結成 当社のあゆみ
- 世田谷砧に社員住宅完成 当社のあゆみ
- 現場主任必携発行 当社のあゆみ
- 戦後はじめての衆議院総選挙実施 社会の動き
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
- 日本国憲法施行 社会の動き
- 独占禁止法公布 社会の動き
- 労働基準法公布 社会の動き
昭和23年(1948) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 渋沢関係略年譜
- 社名を清水建設株式会社に変更 当社のあゆみ
- 全国建設業協会設立 社会の動き
- 日本経営者団体連盟発足 社会の動き
- 建設省設置 社会の動き
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