※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | ソビエト連邦成立 | 社会の動き | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 関東大震災により南鞘町本店焼失。実業之日本社ビルに仮本店を設置 | 当社のあゆみ | |
- | 関東大震災による復旧活動・被害調査 | 当社のあゆみ | |
- | 四国地方に進出。大阪支店高松出張所を開設 | 当社のあゆみ | |
- | 関東大震災 | 社会の動き | |
- | 丸ノ内ビルヂング竣工 | 社会の動き | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 東京帝国大学講堂(安田講堂) | 代表的建物 | |
- | 東京放送局(JOAK)ラジオ放送開始 | 社会の動き | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 仮本店を丸ノ内ビルヂングに移す | 当社のあゆみ | |
- | 東京京橋電話局に初のダイヤル式自動電話開設 | 社会の動き | |
昭和元年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 清風亭 | 代表的建物 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 営業規定を改正。店長を社長、副店長を副社長と改称。工事長制度廃止、工事部を新設 | 当社のあゆみ | |
- | ホテルニューグランド | 代表的建物 | |
- | 日本初の地下鉄が東京の上野~浅草間開通 | 社会の動き | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 工学博士佐野利器を副社長として招聘、近代化に取り組む | 当社のあゆみ | |
- | 清水組本店職方組合設立(昭和九年に公認となり兼喜会と改称) | 当社のあゆみ | |
- | 三井本館 | 代表的建物 | |
- | 青山学院図書館 | 代表的建物 | |
- | 世界恐慌始まる | 社会の動き | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 土木部新設による土木事業への本格的参入 | 当社のあゆみ |