※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治29年(1896) | - | 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 | 渋沢関係略年譜 |
3月30日 | 製鉄所官制公布 | 社会のできごと | |
- | このころから「綿繰機械用・旋盤用鋳物」の製造開始 | 当社のできごと | |
明治30年(1897) | - | 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月29日 | 貨幣法公布(10月1日金本位制成立) | 社会のできごと | |
6月 | 大出鋳造所を「久保田鉄工所」に改称 | 当社のできごと | |
- | 鋳型(砂型)の「黒味塗型法」考案 | 当社のできごと | |
- | 鉄管(直管)の「合わせ型斜吹鋳造法」考案 | 当社のできごと | |
- | このころから「消火栓・制水弁など水道用付属品」の製造開始 | 当社のできごと | |
明治31年(1898) | - | 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月16日 | 民法(全編)施行 | 社会のできごと | |
12月1日 | 東京市水道、給水開始 | 社会のできごと | |
- | 舞鶴海軍鎮守府へ鉄管(異形管)納入 | 当社のできごと | |
明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月2日 | 特許法・意匠法・商標法公布 | 社会のできごと | |
明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 大阪市、町名大改正 | 社会のできごと | |
- | 鉄管(直管)の「立込丸吹鋳造法」考案 | 当社のできごと | |
- | 大阪市へ水道用鉄管(直管)を初納入、以後継続納入 | 当社のできごと | |
- | この年水道事業の国庫補助対象を拡大 | 社会のできごと | |
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月5日 | 官営八幡製鉄所、第1高炉火入れ | 社会のできごと | |
12月10日 | 第1回ノーベル賞 | 社会のできごと | |
- | 南区北高岸町(現・浪速区敷津東)に「北高岸町工場」新設 | 当社のできごと | |
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 日英同盟調印 | 社会のできごと | |
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 大阪で、第5回内国勧業博覧会開催 | 社会のできごと |