※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月28日 | 第1次世界大戦始まる | 社会のできごと | |
8月19日 | 北浜銀行休業、大阪・名古屋に恐慌広がる | 社会のできごと | |
- | (末)「本店工場」に機械工場新設、「工作機械」の製造開始 | 当社のできごと | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月18日 | わが国、中国に対し21カ条の要求を提出 | 社会のできごと | |
11月 | 米国鉄鋼トラスト、鉄鋼販売中止宣言 | 社会のできごと | |
12月4日 | 東京株式市場暴騰(「大戦景気」始まる) | 社会のできごと | |
- | 呉海軍工廠へ小型旋盤大量納入 | 当社のできごと | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
9月1日 | 工場法施行 | 社会のできごと | |
- | 本店工場、海軍各工廠の指定工場となる | 当社のできごと | |
- | 本店工場「分工場」新設、機械鋳物を製造 | 当社のできごと | |
- | ド・ラボー、金型遠心力鋳造法による鉄管の試作に成功 | 社会のできごと | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月25日 | 製鉄業奨励法公布 | 社会のできごと | |
8月1日 | 兵庫県の関西鉄工(株)を買収し「尼崎工場」開設、本店工場の鉄管部門を移設 | 当社のできごと | |
8月 | 本店工場でスチームエンジンなど「舶用機械」の製造開始 | 当社のできごと | |
9月12日 | わが国、金輸出禁止(事実上の金本位制停止) | 社会のできごと | |
9月 | 本店工場で「製鉄用機械」の製造開始 | 当社のできごと | |
11月7日 | ロシア10月革命起こる | 社会のできごと | |
- | 「恩加島工場」新設、異形管・鋳物を製造 | 当社のできごと | |
- | 西関谷町工場および馬淵町工場閉鎖 | 当社のできごと | |
- | ジャワ(インドネシア)へ鉄管2000トンおよび制水弁を初輸出 | 当社のできごと |