清水建設兼喜会『清水建設兼喜会五十年』(1969.02)

"清水喜助"が書かれている年表項目はハイライトされています。

表示切替
月日 事項 年表種別
明治元年(1868) - 二代清水喜助、築地ホテル館を経営。 本社関連
明治4年(1871) 4月 満之助、二代清水喜助の嗣となり、長女ムメと結婚 本社関連
明治7年(1874) 2月 為換バンク三井組竣工。//駿河町三井組三階家建築落成ニ付、去ル十一日棟上ノ式アリテ、三井八郎右衛門其他召仕ノ者ハ、総テ袴羽織ニシテ、大工棟梁清水喜助ハ狩衣同世話方ノ者共ハ麻上下ヲ着用シテ、ココニ参集シ、且ツ大工鳶ノ者凡二百五十人程一様ノ外套ヲ着テ列ヲナシ、隣町ヲ一斉ニ喊叫巡回ス。二階・三階ハ、美々敷(ク)幣ヲ飾リテ酒餅等種々ノモノ堆(うずたか)ク並置シ、然シテ大約二時間余リ、一銭ノ銅貨、紅・白・黄三色ノ餅並(ビ)ニ密柑等取交ゼ投撒シタリ。故ニ観者亦(もまた)頗ル群集雑踏セリ。(郵便報知新聞)//この建物も亦、築地ホテル館・第一国立銀行の建物とともに錦絵によつて江湖に紹介された。総工費5万円あまり、外周の意匠は第一国立銀行に同じであつた。落成後暫く三井組御用所として使用されたが、幾くもなく私立銀行の営業が公許されるに及び、三井銀行の営業所となつた。明治30年に至り、両行相前後して社屋の改築を企てその旧屋を取毀わすこととなり、二代主苦心の明治初期建築も築地ホテル館焼失を加え、遂にその姿を錦絵・写真に彷彿せしむるのみとなつた。(清水建設株式会社社史原本) 施工関係
昭和3年(1928) 11月 初代清水喜助包喜翁碑、除幕。//初代生地富山県婦負郡黒瀬谷村大字小羽字東山在の丘陵上に誕生記念碑として建立。碑石表面の文字は、青渕渋沢栄一揮毫、背面の撰文並びに書は高田竹山。 本社関連
昭和5年(1930) 7月 二代清水喜助五十回忌法要執行。 本社関連
昭和10年(1935) 2月 三囲神社内社殿(二代主作)模写造営に着手。//木工細工人安保木方斎・彫刻師中村徳太郎・塗師方小浜卯吉・錺金物師久我栄太郎。神体大黒天像は初代清水喜助包喜作。 本社関連
昭和33年(1958) 5月 初代清水喜助包喜翁百年忌を執行。 本社関連
昭和39年(1964) 11月 日本建築学会、清水喜助清矩(二代主)の遺徳を顕彰。//第1回日本建築祭大会において、わが国建築界の先覚者として顕彰されたもので、その他に本社関係者の顕彰では元副社長佐野利器がある。 本社関連
PAGE TOP