清水建設兼喜会『清水建設兼喜会五十年』(1969.02)

"清水武治"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治6年(1873) - 原林之助(のち、支配人)入店。//先に二人の女婿(清水満之助・清水武治)を迎えた二代主は更に姻戚原林之助を店員に加える。林之助は二代主夫人の甥にあたり、入店の折は17歳であつた。 本社関連
明治10年(1877) 10月 渋沢栄一邸(深川福住町)竣工。//階段親柱に唐獅子を取付けた二代主の考案は、身分不相応として施主にしりぞけられ、切り取られた彫刻物が清水武治により返却された。なお、この建築物は後に三田綱町へ移築。 施工関係・備考 *は総体的な備考
明治14年(1881) 2月 清水武治分家して新石町東京店を、三代清水満之助は吉田町横浜店をそれぞれ単独に経営。 本社関連
- *神田新石町店を清水武治店と改称。//この時代の東京店は本石町と新石町にあり、日本橋本石町は居宅兼用、新石町は謂ゆる「店」に専用されていた。奥と店との未分化な一時期のことである。 施工関係・備考 *は総体的な備考
明治16年(1883) - 清水宗家、横浜店を本店宅とし、清水武治店(東京)は本石町支店(別宅)となる。//清水武治店営業不振につき支店に改め、鋭意挽回につとめた結果、渋沢子爵の指導をも得て再起。越えて明治18年、後見者清水満之助に本石町店建家土蔵を譲与、経営の一切が三代主に委譲された。 本社関連
明治18年(1885) - 三代主、東京新石町店の後見人となる。//清水武治、長女に家督を相続し三代主これを後見。 本社関連
明治24年(1891) 9月 清水武治、死去。 本社関連
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