清水建設兼喜会『清水建設兼喜会五十年』(1969.02)

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昭和2年(1927) - 金融恐慌を全国に波及させるきつかけとなつた鈴木商店と台湾銀行との関係は有名である。鈴木商店は樟脳の専売で台湾を足場に発展したが、第1次大戦中に貿易事業を拡大したほか各種の事業に手を出すなど投機的傾向が強く、戦後恐慌で手痛い打撃を受けていた。しかし、その後も台銀からの融資に依存して積極的政策をつづけ、内容はいちじるしく悪化していた。その債務は、じつに4億5千万円で、日本第2位の三井銀行の総預金額に匹敵し、しかもそのうち3億5千万円までは台銀からの借金だつた。前後略(筑摩叢書記録現代史5) 台銀は3月27日に鈴木商店への新規貸出しを停止した。かくて各銀行は争つて自衛措置をとることになり、三井銀行はじめ市中銀行は急激に台銀への短期融資を引き上げた。前後略(教養文庫版日本史5)。//金融恐慌のさなかに若槻首相は内閣を解散、代つて陸軍大将田中義一が政権を握つた。田中首相は外相をも兼任して財界の救済と対支外交刷新をその政綱にかかげ、蔵相に高橋是清を起用、政府・日銀の救済策実施によりパニックをおさめ、一方に積極的対華政策を敢行した。 業界関連・一般
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