清水建設(株)名古屋支店『清水建設株式会社名古屋支店100年の歩み : Discover 100』(1991.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
文化元年(1804) - 初代清水喜助、江戸神田鍛冶町で大工創業 清水建設の歩み
安政6年(1859) - 店宅を横浜坂下町に設置し、横浜へ進出 清水建設の歩み
- 初代喜助死去、養子清七が2代喜助を襲名 清水建設の歩み
- 神奈川・函館・長崎開港 社会のできごと
1868年 - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
- 2代喜助、築地ホテル館を完成し経営 清水建設の歩み
- 江戸を東京と改称、明治と改元 社会のできごと
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
- 三井組ハウス(後の第一国立銀行)竣工 清水建設の歩み
- このころ2代喜助が渋沢栄一の知遇を得る 清水建設の歩み
- 新橋・横浜間鉄道開業 社会のできごと
- 太陽暦を採用 社会のできごと
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
- 為換(かわせ)バンク三井組竣工 清水建設の歩み
- 廃藩置県で名古屋県など設置 社会のできごと
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
- 2代喜助死去、清水満之助が3代主となる 清水建設の歩み
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
- 横浜を本店とし、東京を支店とする 清水建設の歩み
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
- 3代満之助死去、長男喜三郎(11歳)が家督相続 清水建設の歩み
明治22年(1889) - 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 渋沢関係略年譜
- 渋沢栄一を顧問に迎える 清水建設の歩み
- 原林之助支配人就任 清水建設の歩み
- ○当社取引業者団体・カネキ工商会発足 ○清水建設のあゆみ(全社のできごと)
- 大日本帝国憲法発布 社会のできごと
- 大日本帝国憲法発布 社会のできごと
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