※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治22年(1889) | - | 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 名古屋区を名古屋市と改める(人口15万7000人、市域13.3km) | 東海地方のできごと | |
- | 名古屋に初めて電灯がつく | 東海地方のできごと | |
- | 東海道本線全通 | 東海地方のできごと | |
明治24年(1891) | - | 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 〓[キ+┐]工商会(後の兼喜会)発会 | 清水建設の歩み | |
- | 名古屋出張所を開設 | 清水建設の歩み | |
- | 尾張紡績復旧工事を機に名古屋出張所開設//藤井清一郎主任就任 | 清水建設のあゆみ | |
- | 濃尾大地震 | 社会のできごと | |
- | 東北本線全通 | 社会のできごと | |
- | 濃尾大震災 | 東海地方のできごと | |
明治25年(1892) | - | 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 出張所を名古屋市南呉服町に移転 | 清水建設のあゆみ | |
- | 鉄道敷設法公布(幹線官営の原則を確立) | 社会のできごと | |
明治26年(1893) | - | 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 出張店と改称 | 清水建設のあゆみ | |
- | 名古屋市新柳町7丁目に移転 | 清水建設のあゆみ | |
- | ○京都出張所を設置 | ○清水建設のあゆみ(全社のできごと) | |
明治27年(1894) | - | 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
- | ○大阪出張所を設置 | ○清水建設のあゆみ(全社のできごと) | |
- | 日清戦争始まる | 社会のできごと | |
- | 愛知馬車鉄道を名古屋市栄町に設立 | 東海地方のできごと | |
明治29年(1896) | - | 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 金子荘太郎主任就任 | 清水建設のあゆみ | |
- | 愛知馬車鉄道が名古屋電気鉄道と改称 | 東海地方のできごと | |
明治30年(1897) | - | 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 御園座竣工 | 清水建設のあゆみ |