ヤンマーディーゼル(株)『ヤンマー50年小史』(1963.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治45年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
3月 大阪市北区西之町(現在の茶屋町)に「山岡発動機工作所」を創設、ガス発動機ならびに吸入ガス発動機の販売を開始。 会社概況
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
- 第1次世界大戦の影響で好景気となり、ガス発動機ならびに吸入ガス発動機の販売が隆盛となる。 会社概況
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
- 北区曽根崎中2丁目に店舗を構える。 会社概況
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
- 此の頃から、隣接の米田鉄工所と若干の鉄工所を利用して、石油発動機の修理販売を開始。 会社概況
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
- 壱岐電灯用ガス発動機が玄界灘で沈没。引揚げと同時にエンジンの軽量化に力を注ぐ。 会社概況
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
4月 東京に東京出張所を設置。 会社概況
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
- 米田鉄工所を買収し、農業用竪型石油発動機の製作を開始。 会社概況
- 農業用竪型3馬力石油発動機を完成発表。 会社概況
- 滋賀県で、アメリカ製耕耘機の実験を行なう。 会社概況
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
3月24日 「ヤンマー(縦書)」(商標登録126901)ヤンマーの商標のもとに、農業用横型石油発動機を完成、「ヤンマー変量式石油発動機」として好評を博した。 会社概況
9月 石油発動機を原動機として、ヤンマー動力籾摺機の販売を開始。これは日本での電動籾摺機のはじまりである。 会社概況
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
7月 姫路での中国四国物産博覧会に、石油発動機を出品し、二等銀賞牌を受領した。 会社概況
- 東京平和博覧会にヤンマー動力籾摺機、ヤンマー動力精米機、ヤンマー水揚げポンプを出品、三等銅賞牌を受領した。 会社概況
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
6月23日 福岡市上祇園町に、九州出張所を設置。 会社概況
10月 福岡市矢倉門町に、九州出張所を移転。 会社概況
- 干ばつのため、水揚げポンプ用として農業用石油発動機の売れ行き伸長。 会社概況
- 東京市京橋区本材木町に、東京出張所を移転。 会社概況
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
- 農業用横型「ヤンマー・スロットル式石油発動機」を完成発表。 会社概況
- 朝鮮京城府に、朝鮮出張所を設置。 会社概況
- 全国的な大干ばつのとき、滋賀県野洲・栗太両郡で、県立農事試験場県農務課と協力して、無償で揚水ポンプ付ヤンマー石油発動機を使用させた。これは両郡農家の危急を救い、米穀生産を援助した。さらに、購入希望者には、原価提供を行なってその負担を軽くした。 会社概況
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