※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 西南戦争の終結 | 世の中の出来事 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 旧鳥羽藩士が旧城二の丸、三の丸に小船渠を開き造船業を始める。「鳥羽造船所」の発祥 | 鳥羽造船所(鳥羽鉄工含む) | |
明治22年(1889) | - | 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 造船所の施設一切が三重県河芸郡栗真村(現・津市)の阿保市太夫ほか数人の出資者に売却。「鳥羽鉄工株式会社」に改称 | 鳥羽造船所(鳥羽鉄工含む) | |
明治27年(1894) | - | 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 日清戦争(~1895年3月) | 世の中の出来事 | |
明治29年(1896) | - | 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 経営不振のため休業していたが、安田善次郎(安田財閥の祖)ほか5人が合資し買収。「鳥羽鉄工合資会社」を設立、久保村活三が社長として経営に当たる | 鳥羽造船所(鳥羽鉄工含む) | |
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 日露戦争(~1905年9月) | 世の中の出来事 | |
明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 造船所内に火力発電所を設置、工場の原動力を蒸気から電気に転換。翌年には鳥羽の町に電力を供給し電灯事業を始めた | 鳥羽造船所(鳥羽鉄工含む) | |
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 日露戦争後の不況のため休業。電灯事業のみ安田商事で直営 | 鳥羽造船所(鳥羽鉄工含む) | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 電灯事業は三重紡績傘下の中央鉄工所に、造船事業は三重紡績系列の四日市鉄工所に譲渡 | 鳥羽造船所(鳥羽鉄工含む) | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 第一次世界大戦(~1918年11月) | 世の中の出来事 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 鈴木商店が買収し、中央鉄工所および四日市鉄工所より造船、電灯事業など業務一切を継承する。「株式会社鳥羽造船所」が創立される。当社の創業者(生みの親)となる辻湊が取締役に就任 | 鈴木商店傘下 株式会社鳥羽造船所 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月1日 | 1日、当社創業 | 鈴木商店傘下 株式会社鳥羽造船所 | |
5月 | 電気係を組織し造船工場の一隅に電機試作工場を開設。所内設備および舶用電機品の製作を開始 | 鈴木商店傘下 株式会社鳥羽造船所 | |
10月 | 小田嶋修三が入社し赴任。のちに辻とならび創業者(育ての親)と呼ばれる | 鈴木商店傘下 株式会社鳥羽造船所 | |
- | 造船所内のポンチング用直流電動機(10HP)10台製作 | 鈴木商店傘下 株式会社鳥羽造船所 | |
- | 舶用直流電動機の生産開始 | 鈴木商店傘下 株式会社鳥羽造船所 | |
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 「帝国汽船株式会社」と合併。「帝国汽船鳥羽造船工場」と改称 | 帝国汽船株式会社 | |
8月 | 米騒動が起こる | 世の中の出来事 | |
10月 | 鳥羽造船所近郊(鳥羽町・奥谷)に蓄電池工場を建設 | 帝国汽船株式会社 | |
- | 誘導電動機(5~50HP)30台を播磨造船所(現IHI・JMUアムテック)などに納入 | 帝国汽船株式会社 |