東京電気(株)『東京電気株式会社五十年史』(1940.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
4月 東京市に販売会社たる城南電気、城北電気、中央電気商店の三社を設立す
6月23日 O・プルスマン氏専務取締役副社長を辞任す
7月23日 芝浦製作所及びI・G・E会社と協議の上ラヂオ機械の製作販売を開始す
9月 横浜市に株式会社金港電気商会を設立す
9月 内面半艶消電球を発売す
9月 無線電信電話用送信機の販売を開始す
10月22日 日本医療電気株式会社を設立す
10月22日 レントゲン装置並に附属品其他各種医療機器の販売を日本医療電気株式会社に委託す
10月22日 大井工場第二電球科工場を川崎工場第一電球科工場へ併合す
12月24日 大正電球株式会社、帝国聯合電球株式会社、関西聯合電球株式会社及び大日本電球株式会社の四社を合併し同時に大阪電球株式会社の組織を変更して当社総資本金を四千弐百万円に増額す
昭和6年(1931) - 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 渋沢関係略年譜
2月 大連市秋月町二十番地に地所約四千坪を購入し電球工場建設に着工す
2月 東京市に山手電気株式会社を設立す
6月 大連市秋月町二十番地に於ける新電球工場建築工事竣成す(大連工場)
8月 東京市四谷区新宿三丁目に新宿売店を設置す
9月1日 名古屋市に愛京電気株式会社を設立す(後に名古屋マツダ販売株式会社と改称)
10月6日 大連工場設備一切竣成し作業を開始す
11月 (末)従来電球のみに使用し来れる登録商標〓[○+マツダ]を当社全製品に使用す
12月1日 業務組織を変更し営業部、総務部の二部を廃止して新たに監理部、事業部、販売部を置く
12月1日 京城出張所を第四課より分離し第九課となす
12月24日 資本金を参千九百五拾万円に減資す(減資額弐百五拾万円)
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