※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 取締役立川勇次郎及び販売部長立川竜の両氏を米国へ派遣す | ||
6月 | 大型無線電信用送信真空管製造に関し国勢院より研究奨励金の交付を受く | ||
8月 | 専務取締役副社長山口喜三郎氏会社事業に関する用務のため渡米す | ||
12月26日 | 温度計の製作並に販売を併せ営む儀に付農商務大臣より営業を許可せらる | ||
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月31日 | 第二回功労社債五万円を発行す | ||
1月 | 当社研究所に於ける大型真空管の研究並に製造著るしき発達を遂げ、陸海軍其他各方面の多数の需要に応ず | ||
9月1日 | 関東大震災の為川崎本社に於ける工場建物多数倒潰し社員工員六十五名の犠牲者を出す | ||
10月1日 | 復旧に力めたる結果二三の工場を除き全部作業を開始す | ||
11月21日 | 震災復旧事業全部完成せる為臨時復旧部を解散す | ||
11月 | (初旬)全工場の作業を開始す | ||
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
2月20日 | 本社隣接地南河原田二千百八十三坪を購入す | ||
4月1日 | マツダCランプの一部値下げを行ふ | ||
4月 | 研究所用としての第三十四号第三十五号建物完成す | ||
7月23日 | 福岡県企救郡板櫃町板櫃に小倉工場敷地として一万五千二百五十四坪、同工場建物敷地として二千七百六十坪を購入す | ||
7月23日 | ダンナーマシン(硝子管及び棒曳機械)の特許権を購入す | ||
9月1日 | マツダB電球の値下げを行ふ | ||
9月2日 | 臨時株主総会の決議により資本金を弐千壱百万円(増資額壱千壱百万円)に増資す | ||
9月2日 | 無線用送信真空管の製作に就き農商務大臣より研究奨励金を下附せらる | ||
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 瓦斯入電球(Cランプ)の二割値下げを行ふ | ||
4月28日 | 真空管特許権及びマイスナー特許権に関し日本無線電信電話株式会社と暫定契約を締結す |