東京電気(株)『東京電気株式会社五十年史』(1940.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
3月 (初旬)恵比須工場を閉鎖す
3月 (初旬)X線管製造を実験室より分離し別工場に移して研究並に製造の増進を図る
4月28日 資本金参百六拾万円を六百万円に増額す
7月 第十八号新ランプ工場竣成す
8月21日 大崎電気株式会社と東京電球製作所を合併し東京聯合電球株式会社を設立す
8月 米国型オーヂオンバルブ完成す(本邦真空管工業の先駆)
9月1日 硝子需要増大のため恵比須工場を再開す
9月12日 横浜出張所を廃止す
9月19日 (川崎)増設中の電球口金工場竣成す
9月 (下旬)当社商標侵害事件続発す
9月 (下旬)各地電灯会社漸次カーボン電球の使用を廃止す
11月 福利機関として貯金共励会及び金融部を設く
12月 工場附属治療窒一棟建築工事竣成す
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
1月24日 上海南京路に販売部第一課を設置す
1月24日 東京聯合電球株式会社と電球の製造並に販売に関し契約を締結す
3月5日 専務取締役社長工学博士藤岡市助氏逝去す
3月9日 芝増上寺に於て社葬の礼を以て故藤岡社長の葬儀を執行す
3月15日 深川及び恵比須の両硝子工場を廃止す
3月23日 支那方面に於ける電球販売契約の件に就き取締役新荘吉生氏渡米す
3月 (末)実験室に於て内面艶消電球の研究に着手す
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