※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月19日 | (川崎工場)電球工場、炭素線工場、電灯用器具工場及び電気用各種硝子製造所竣工す | ||
7月1日 | 本社を神奈川県橘樹郡御幸村南河原千九十番地(現在の川崎市)へ移転す | ||
8月23日 | (川崎)電気計器組立及び理化学的実験室用建物設置の儀神奈川県知事より許可せらる | ||
9月18日 | 臨時株主総会の決議により資本金を参百六拾万円(増資額弐百万円)に増額す | ||
11月 | 独逸電球会社との契約事務其の他に就き工業部長新荘吉生氏を欧米へ派遣す | ||
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | (2月頃)窒素電球を発売す | ||
2月 | (2月頃)瓦斯発生工場を設置す | ||
4月 | (初旬)東京市京橋区銀座一丁目一番地に販売部出張所を設く(後第二課となる) | ||
5月2日 | 電気計器組立工場、理化学実験室、電球工場、鍛冶工場等竣工す | ||
6月 | 横浜市伊勢佐木町一番地に販売部出張所を設く | ||
7月15日 | マツダ新報を創刊す | ||
7月 | 東京電球製作所と電球の製造並に販売に関し契約を締結す | ||
8月18日 | 大崎電気株式会社と電球の販売に関し契約を締結す | ||
9月 | 大阪市西区阿波堀一丁目五番地に販売部出張所を設く(後第三課となる) | ||
10月5日 | 電球其の他一般製造技術に関する学理的研究を工業部技術課より分離し新たに実験室を設置す(研究所の前身) | ||
11月 | 照明課を設置す | ||
12月23日 | 川勝ツネ氏所有に係る硝子工場建家窯其の他設備一切及び硝子窯特許権の一部を買収し之を恵比須工場となす | ||
12月 | (中旬)X線管の製作及び修繕開始計画に着手す | ||
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | (大井工場)小型電球工場竣工す | ||
2月15日 | タングステン電球の需要増進に伴ひカーボン電球漸次その数を減ず |