※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | (三田工場)プレツスド・タングステン電球の製造を試む | ||
3月 | (川崎工場)変圧器修繕業を開始す | ||
5月 | (末)(三田工場)ソケツト用陶器の製作を開始す | ||
7月13日 | (川崎工場)タングステン電球工場の建築竣工す | ||
7月29日 | 独逸伯林アウエル・グリユーリヒト会社のタングステン電球製造特許権を購入す | ||
11月 | 芝浦製作所との合併問題一時中止となる | ||
12月 | (初旬)(川崎工場)硝子工場の新築に着手す | ||
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月24日 | 田村英二氏専務取締役社長を辞し藤岡市助氏専務取締役社長に就任す | ||
1月 | 昨四十二年十一月の電球売上個数未曾有の巨額に達したるを以て之が祝賀会を行ふ | ||
3月 | (川崎工場)タングステン電球工場の設備完成し本格的製造に着手す | ||
4月 | (4、5月)(三田工場)レセプテークル、プラツグ、シエード、ホルダー其の他各種電灯用器具の製作を開始す | ||
5月30日 | 芝浦製作所株式四千株を応募す | ||
5月 | 硝子工場の建築工事竣成す | ||
5月 | (下旬)ゼムランプ(改良炭素電球)の製造並に販売を開始す | ||
8月 | 大洪水のため川崎、深川両工場浸水し多大の損害を蒙る | ||
8月 | 電灯事業の発達に伴ひ電球製造業者漸く興り本年末現在十余の多きに上る | ||
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 「マツダ」の商号を使用す | ||
1月 | (ワイヤー・ドローイング・タングステン電球アメリカ市場に現る) | ||
4月 | メートル工場準備係を設け電気計器の製造を計画す | ||
5月6日 | (深川工場)陶器工場及び調合室の増設工事竣成す |