※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 日華無線電信条約締結。 | 備考 | |
6月 | ベルサイユ講和条約調印。 | 備考 | |
11月 | 古河合名会社とドイツ、シーメンス社との間に日本に於て新会社設立の議起る。 | 事項 | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 古河商事会社の破綻により古河合名会社の金融が著しく困難に陥る。 | 備考 | |
3月 | 欧後の恐慌起り諸株、期米、綿糸、生糸各市場大暴落。 | 備考 | |
4月 | 横浜電線製造株式会社に古河鉱業株式会社の日光精銅所及び本所鎔銅所を合併して古河電気工業株式会社と改称。 | 備考 | |
5月 | 大阪分銅株式会社(古河傍系)常務取締役梶山秀男ベルリン到着、滞独中の古河商事株式会社社員稲垣平太郎と協力新会社設立につきシーメンス社と折衝。 | 事項 | |
11月 | 梶山、稲垣両名交渉不調のため前後して帰国。 | 事項 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | シーメンス社派遣のナタリス、ケスラー、キーファー一行3名来日、交渉再開。 | 事項 | |
3月 | 度量衡をメートル法に改む。 | 備考 | |
6月 | 古河電気工業会社とシーメンス社間に新会社設立の交渉妥結し、6月1日日本工業倶楽部に於て調印完了。 | 事項 | |
11月 | 古河電気工業会社は新会社のために神奈川県橘樹郡田島村田辺新田に工場敷地48,030坪を買収。 | 事項 | |
11月 | 原敬首相暗殺、高橋是清政友会内閣成立。 | 備考 | |
11月 | 皇太子摂政となる。 | 備考 | |
12月 | 古河合名副社長吉村万治郎は梶山秀男及び利根川守三郎を伴い覚書調印、機械購入のためドイツへ出発。 | 事項 | |
12月 | ワシントン軍縮会議にて日英米仏4ヵ国条約締結、同時に日英同盟廃棄。 | 備考 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | ベルリンに於て追加覚書に調印。 | 事項 | |
4月 | 古河鉱業足尾製作所長武田秀治工場設計打合せ及び機械購入のためドイツへ出発。 | 事項 | |
5月 | 吉村、梶山両名帰国。 | 事項 | |
6月 | 加藤友三郎内閣成立。 | 備考 |