※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 労働争議起こる(わが国最初のサボタージュ戦術採用) | 当社 | |
10月 | わが国初の八時間労働制実施 | 当社 | |
12月 | 造船奨励法廃止 | 一般 | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 株価暴落、銀行取り付け頻発、戦後恐慌始まる | 一般 | |
5月 | 葺合工場で高張力鋼板の製造開始 | 当社 | |
7月 | パナマ運河開通 | 一般 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 川崎・三菱大争議起こる | 当社 | |
10月 | 友愛会、日本労働総同盟と改称 | 一般 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 戦艦「加賀」、巡洋戦艦「愛宕」の建造中止 | 当社 | |
2月 | ワシントン海軍軍備制限条約調印 | 一般 | |
2月 | 日本海軍の八八艦隊計画取り消し | 一般 | |
9月 | 飛行機部、各務ヶ原分工場開設 | 当社 | |
11月 | サルムソン式飛行機、陸軍制式乙式一型に採用 | 当社 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 「第七〇潜水艦」潜航試運転中に沈没、八十八人殉職 | 当社 | |
9月 | 関東大震災発生(M7・9) | 一般 | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 当社初の電気機関車(富士電軌五t)製作 | 当社 | |
7月 | メートル法施行 | 一般 | |
11月 | 東京放送局設立(放送開始は一九二五年三月) | 一般 | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 一等巡洋艦「加古」進水 | 当社 | |
4月 | 治安維持法公布 | 一般 |