川崎重工業(株)『川崎重工業株式会社百年史 : 1896-1996. 資料・年表』(1997.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
9月2日 大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)設立 一般事項
10月14日 兵庫商法会議所(現・神戸商工会議所)設立 一般事項
- 川崎築地造船所にて建造の第1船「北海丸」(西洋型木造船80t)進水、引続き「飛鳥丸」「鳴鶴丸」(各230t)を建造 当社事項
- 川崎正蔵、兵庫に造船分所を設置 当社事項
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
6月9日 川崎築地造船所にて「第一回漕丸」を起工 当社事項
9月29日 学制を廃し、教育令制定 一般事項
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
11月5日 工場払下概則制定 一般事項
- 川崎正蔵、兵庫・東出町の官有地を借受け、造船所の開設準備に着手 当社事項
- ボイラを始めとする舶用機械の製造に着手 当社事項
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
3月 川崎正蔵、兵庫・東出町に川崎兵庫造船所を開設(資本金10万円) 当社事項
4月1日 イギリス人E・H・ハンター、大阪鉄工所を設立 一般事項
4月7日 農商務省設置(管船課を管轄) 一般事項
8月8日 工部省、工場払下概則により兵庫工作分局(神戸・東川崎町)の払下げ方針を決定 当社事項
10月9日 松方大蔵卿、不換紙幣の整理に着手 一般事項
10月12日 「明治23年を期し国会開設」の大詔渙発 一般事項
- 川崎正蔵の所有船「龍王丸」、和歌山県南部沖にて沈没 当社事項
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
10月10日 日本銀行開業 一般事項
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
7月1日 官報発行 一般事項
7月30日 神戸株式取引所設立 一般事項
9月22日 工部省、工作局を廃止し、兵庫工作分局を兵庫造船局と改称 当社事項
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