※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 東京石川島造船所、「ウーズレーA9型」国産第1号乗用車完成 | いすゞの商品 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 関東大震災による壊滅的被害を受けるが、製造再開を決定 | いすゞの動向 | |
9月 | 関東大震災 | 社会の出来事 | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 「ウーズレーCP型」トラック完成 | いすゞの商品 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | ウーズレーを「スミダ」に改名 | いすゞの商品 | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 東京石川島造船所、自動車部を分離し「(株)石川島自動車製作所」を設立 | いすゞの動向 | |
10月 | ニューヨーク株式市場大暴落による世界恐慌 | 社会の出来事 | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 満州事変始まる | 社会の出来事 | |
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 石川島自動車製作所、「ダット自動車製造(株)」を合併し、「自動車工業(株)」と改称 | いすゞの動向 | |
3月 | 日本が国際連盟を脱退 | 社会の出来事 | |
8月 | 「商工省標準形式自動車」完成 | いすゞの商品 | |
昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 自動車工業鶴見工場を開所 | いすゞの動向 | |
7月 | 自動車工業、「ディーゼル機関研究委員会」設置 | いすゞの動向 | |
10月 | 東京石川島造船所鶴見鋳物工場を開所 | いすゞの動向 | |
- | 商工省標準形式自動車を「いすゞ」と命名 | いすゞの商品 | |
昭和11年(1936) | - | 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 日本初の空冷式ディーゼルエンジン「DA4型」「DA6型」完成 | いすゞの商品 | |
昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 【創立】「東京自動車工業(株)」(現在のいすゞ自動車(株)の前身、資本金100万円)設立 | いすゞの動向 | |
7月 | 日中戦争始まる | 社会の出来事 | |
昭和13年(1938) | - | 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 川崎製造所竣工(1938年7月操業開始) | いすゞの動向 | |
4月 | 「国家総動員法」公布 | 社会の出来事 |