※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和13年(1938) | - | 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 川崎製造所第1号車「TX40型」トラック完成 | いすゞの商品 | |
昭和14年(1939) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 第二次世界大戦始まる | 社会の出来事 | |
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 商号を「ヂーゼル自動車工業(株)」と改称 | いすゞの動向 | |
12月 | 太平洋戦争始まる | 社会の出来事 | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 日野製造所を分離、「日野重工業(株)」(現在の「日野自動車(株)」)を設立 | いすゞの動向 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 本社を品川区東品川から品川区南大井へ移転 | いすゞの動向 | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 「ポツダム宣言」発表 | 社会の出来事 | |
8月 | 広島、長崎に原子爆弾投下、日本の無条件降伏により、太平洋戦争終結 | 社会の出来事 | |
10月 | 川崎製造所「TX40型」ガソリントラック、鶴見製造所「TU80型」6輪トラックの生産を再開 | いすゞの商品 | |
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 接収により本社を川崎製造所に移転 | いすゞの動向 | |
11月 | 「TX80型」ガソリントラック発売 | いすゞの商品 | |
11月 | 「日本国憲法」公布(昭和22年5月3日施行) | 社会の出来事 | |
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 接収解除により本社を川崎製造所より品川区南大井に復帰 | いすゞの動向 | |
10月 | 「TX61型」ディーゼルトラック完成 | いすゞの商品 | |
昭和23年(1948) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 「BX91型」ディーゼルバス完成 | いすゞの商品 | |
昭和24年(1949) | - | 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 初めてのキャブオーバ型「BX92型」ディーゼルバス完成 | いすゞの商品 | |
2月 | 香港へ「TX61型」ダンプトラックを輸出(戦後輸出第1号) | いすゞの動向 | |
7月 | 商号を現在の「いすゞ自動車株式会社」に変更、資本金を1億5,000万円に増資 | いすゞの動向 | |
昭和25年(1950) | - | 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 「DA75型」ディーゼルエンジン(くまばち)完成 | いすゞの商品 | |
6月 | 朝鮮戦争始まる(特需景気始まる) | 社会の出来事 |