黒田精工(株)『黒田精工70年史』(1995.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
- 軍需会社法。 一般関連事項
- アメリカ対日占領政策の検討を始める。 一般関連事項
- 学徒出陣 一般関連事項
- 軍需省設立 一般関連事項
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
4月 軍需会社に指定される、生産責任者曽志崎誠二専務 当社事項
- ねじ用限界ゲージ臨JES制定案。 一般関連事項
- 航空機生産2万8000台を超える 一般関連事項
- アメリカ爆撃隊による本土空襲始まる。 一般関連事項
- 重要工場疎開実施要綱発令 一般関連事項
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
4月 本社工場焼失。 当社事項
8月15日 終戦 一般関連事項
8月 終戦により一部要員を残し従業員解散 当社事項
- 疎開計画の実施。 当社事項
- 本社を荏原信用組合内に置く 当社事項
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
5月 大貫・長野工場生産再開。 当社事項
10月 マッカーサー民主化改革指示 一般関連事項
- 本社を芝二本榎池田屋油店内に移転 当社事項
- 大貫工場での製塩、長野工場での電熱器製作 当社事項
- 木工部による木造住宅建築請負業開始。 当社事項
- リンドナねじ研事件 当社事項
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