※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月29日 | 近藤滋弥監査役就任(1942.11.17退任) | 日本光学のうごき | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月16日 | 国際連盟成立(第1回理事会パリで開催) | 社会のうごき | |
3月15日 | 株式商品市場大暴落 戦後不況始まる | 社会のうごき | |
5月2日 | 我国初のメーデー上野公園で挙行 | 社会のうごき | |
7月29日 | 工藤裕定取締役就任(1926.11.30退任) | 日本光学のうごき | |
7月 | 海軍八八艦隊予算成立(第43議会) | 社会のうごき | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | (下旬)藤井取締役出張中に雇入のドイツ人技師8名船便毎に着任 | 日本光学のうごき | |
9月 | (上旬)国勢院の軍需工業研究奨励金の交付を受け一たん中止した光学硝子の製造研究の準備に着手 | 日本光学のうごき | |
11月4日 | 原首相、東京駅で暗殺さる | 社会のうごき | |
11月12日 | ワシントン軍縮会議開催 日本八八艦隊案中止 | 社会のうごき | |
12月13日 | 日英同盟廃棄 | 社会のうごき | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月6日 | 日、米、英、仏、伊の五ケ国ワシントン海軍軍備制限条約に調印 | 社会のうごき | |
4月22日 | 健康保険法公布(1926.7.1施行) | 社会のうごき | |
5月29日 | 伊東久米蔵取締役就任(1925.5.30退任) | 日本光学のうごき | |
7月15日 | 日本共産党秘密結社として結成 | 社会のうごき | |
8月31日 | 平和記念博覧会(東京上野)に、天体望遠鏡、対空双眼鏡等を出品し名誉賞牌を受く | 日本光学のうごき | |
10月28日 | イタリア、ムッソリーニ内閣成立 | 社会のうごき | |
12月30日 | ソビエト社会主義共和国連邦樹立宣言 | 社会のうごき | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月25日 | 大井硝子研究所工場落成 | 日本光学のうごき | |
9月1日 | 関東大震災発生 当社工場に倒壊建物なきも被害数十万円に達す | 日本光学のうごき |