※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月1日 | 関東大震災 | 社会のうごき | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
4月23日 | 大石鍈吉取締役就任(1933.6.13退任) | 日本光学のうごき | |
5月1日 | 本店を東京市芝区三田豊岡町13に移転し、東京支店を廃止、大井工場、芝工場と改称 | 日本光学のうごき | |
7月1日 | アメリカ、排日移民法実施 | 社会のうごき | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
2月10日 | 大井工場に賃金問題に端を発し争議勃発 3月5日妥結 | 日本光学のうごき | |
7月3日 | 斯波孝四郎取締役就任同日会長就任(1945.11.15退任)、堀豊太郎取締役就任、(1940.6.1退任)、福島弘次郎監査役就任(1938.6.1退任) | 日本光学のうごき | |
7月12日 | 東京放送局(JOAK)本放送を開始 | 社会のうごき | |
昭和元年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月25日 | 大正天皇崩御、皇太子裕仁親王践祚、昭和と改元 | 社会のうごき | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月15日 | 金融恐慌始まる | 社会のうごき | |
4月22日 | モラトリアム公布施行(5.22まで) | 社会のうごき | |
5月31日 | 資本金300万円を240万円に減資 岡本春三取締役就任(1936.11.27退任) | 日本光学のうごき | |
12月30日 | 東京地下鉄(上野―浅草間)開通 | 社会のうごき | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月16日 | 嘱託ゲルツ技師、アハト氏契約期限満了につき解任(ドイツ人技師の最後) | 日本光学のうごき | |
2月20日 | 最初の普通選挙おこなわれる | 社会のうごき | |
4月20日 | 日本商工会議所創立 | 社会のうごき | |
5月19日 | 上野公園大札記念国産振興東京博覧会に光学硝子類その他を出品し優良国産賞を受く | 日本光学のうごき | |
10月8日 | 蒋介石、国民政府主席に就任 | 社会のうごき | |
11月1日 | 全従業員の融和親睦を目的とする親愛会を組織、設立 | 日本光学のうごき | |
11月10日 | 天皇即位の大礼おこなわれる | 社会のうごき | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月11日 | 社内報「光友タイムズ」発刊 | 日本光学のうごき |