(株)安藤七宝店『鏤采摛文 : 安藤七宝店百年史』(1981.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
5月7日 京都美術協会の第八回新古美術品展覧会において、安藤重兵衛が四等賞木盃(香箱)を受ける。〔出典:安藤家所蔵文書〕 安藤家関係事項
5月11日 第六回愛知県五二会品評会において、安藤重兵衛が銀牌(花瓶)を受ける。〔出典:安藤家所蔵文書〕 安藤家関係事項
5月22日 美術展覧会において、製作者安藤重寿が褒状二等(花瓶)を受ける。〔出典:安藤家所蔵文書〕 安藤家関係事項
- 松吉47歳 安藤家関係事項
- この年、ロシア万国服装品博覧会において、安藤七宝店が名誉大賞を受ける。〔出典:安藤家所蔵文書〕 安藤家関係事項
- イギリスのコーク万国博覧会において、安藤七宝店が金牌を受ける。〔出典:安藤家所蔵文書〕 安藤家関係事項
- この年、川出柴太郎を第二代工場長として招聘する。 安藤家関係事項
明治36年(1903) - 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 渋沢関係略年譜
4月13日 小学校国定教科書制度が公布される。 社会一般事項
5月20日 美術展覧会において、安藤重兵衛自作花瓶が二等賞銀牌を、川出柴太郎作莨箱が三等賞銅牌をそれぞれ受ける。〔出典:安藤家所蔵文書〕 安藤家関係事項
6月15日 名古屋物産展覧会において、安藤重兵衛が銀牌を受ける。〔出典:安藤家所蔵文書〕 安藤家関係事項
7月1日 第五回内国勧業博覧会において、安藤重兵衛が名誉銀牌(花瓶)・一等賞牌(鉢)・二等賞牌(額・莨入)・三等賞牌(小匣・花瓶)を受ける。〔出典:安藤家所蔵文書〕 安藤家関係事項
12月23日 第五回内国勧業博覧会の愛知県売店協会理事を務めた安藤重兵衛に対して、愛知県知事より感謝状が出る。〔出典:安藤家所蔵文書〕 安藤家関係事項
- 松吉48歳 安藤家関係事項
- この年、安藤七宝店が「浮上七宝」「流釉七宝」「盛上七宝」「玉質釉七宝」を創製する。〔出典:安藤家所蔵文書〕 安藤家関係事項
明治37年(1904) - 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 渋沢関係略年譜
2月10日 日露戦争が始まる。 社会一般事項
4月30日 アメリカのセントルイス万国博覧会(~11・29)において、安藤七宝店が名誉大牌を受ける。〔出典:安藤家所蔵文書〕 安藤家関係事項
5月22日 美術展覧会において、安藤重兵衛自作花瓶が二等賞銀牌を受ける。〔出典:安藤家所蔵文書〕 安藤家関係事項
8月2日 安藤重兵衛が安藤家から分家して、名古屋市西区玉屋町四丁目一四番地に移る。〔出典:安藤家所蔵「我家の記録」〕 安藤家関係事項
9月18日 日本金工協会第二回競技会において、川出柴太郎作花瓶・蓋物が協賛銀牌を受ける。〔出典:安藤家所蔵文書〕 安藤家関係事項
9月26日 安藤七宝店の本店・工場を、同市矢場町五の切(現在の本店所在地)に新築移転する。〔出典:安藤七宝店発行『七宝焼』〕 安藤家関係事項
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