大塚製靴(株)『大塚製靴株式会社五十年 : 老舗の近代化』(2003.08)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
10月31日 軍需会社法公布(12.17施行) 業界・一般
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
1月26日 内務省、東京・名古屋に疎開命令 業界・一般
1月 芝浦分工場一部竣工 大塚製靴
4月 愛高国民学校(全生徒300名)を学校工場として作業指導を開始 大塚製靴
5月 八日市場分工場設置 大塚製靴
7月18日 東条英機内閣総辞職 業界・一般
8月23日 学徒勤労令・女子挺身勤労令各公布 業界・一般
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
3月10日 空襲により本工場の付属倉庫および仕上場の一部を焼失 大塚製靴
3月10日 東京大空襲 業界・一般
4月1日 米軍、沖縄本島に上陸(6.23守備軍全滅) 業界・一般
4月 疎開工場(山形県米沢市、長野県軽井沢町沓掛、兵庫県印南郡志方村など)の建設に着手(7.15米沢分工場正式発足、沓掛分工場も同日から生産を開始) 大塚製靴
5月25日 空襲により本工場全部、原宿店主宅、青山の材料倉庫および各寄宿寮等を焼失 大塚製靴
7月26日 対日ポツダム宣言発表 業界・一般
8月6日 海軍主計大尉大塚茂(大塚菊雄の長男)、広島の任地で原子爆弾のため負傷。8.19 岩国海軍病院で戦傷死(享年27歳、同日付で叙従六位を受け、任海軍主計少佐に昇進) 大塚製靴
8月6日 広島に原子爆弾投下される 業界・一般
8月9日 長崎に原子爆弾投下される 業界・一般
8月15日 ポツダム宣言受諾、天皇陛下終戦の大詔を録音放送 業界・一般
8月28日 連合軍総司令部(GHQ)を横浜に設置(9.15 東京・日比谷の第一生命相互ビルをGHQ本部とし、使用開始) 業界・一般
8月 芝浦分工場、本工場と改称 大塚製靴
9月19日 商工省、製造工業の操業に関する覚書をGHQに提出し、皮革・ゴム等の民需向け製造使用開始を申請(9.25制限付許可) 業界・一般
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