オリエンタル写真工業(株)『オリエンタル写真工業株式会社三十年史』(1950.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
3月31日 オリエンタル写真学校廃止認可。
3月 綜合写真化学研究所開設。ゼラチン試験所を合併した。所長菊地健一氏。
4月6日 海軍監督工場の指定をうく。
4月15日 名古屋、福岡の両出張所を閉鎖。
4月25日 軍需工場の第二次指定を受く。
5月15日 臨時株主総会開催、於本社。
5月15日 東洋光機製造株式会社(後の光機工場)を合併した。
6月30日 第四十九回定時株主総会開催。於本社。取締役膳桂之助、長谷川太祐両氏重任。監査役浅沼竜吉、中村元督両氏重任。取締役伊藤竜吉氏辞任。
6月30日 伊藤竜吉氏監査役新任。
10月20日 京城出張所閉鎖。
12月29日 第五十回定時株主総会開催、於本社。
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
5月25日 空襲により第一工場、写真学校、青年学校及第一寮他六つの寮が焼失した。
7月30日 第五十一期定時株主総会開催、於本社。
8月15日 終戦の大詔渙発さる。
10月 平塚工場最初の製品を出す。
12月17日 商号をオリエンタル写真工業株式会社と変更復旧した。
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
1月28日 第一次争議。三日にして解決した。
1月 光機工場操業開始。
2月26日 第二次争議。半ヶ月にして解決した。
3月23日 長谷川太祐氏、常務取締役就任。
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