共同印刷(株)『創造の系譜 : 共同印刷の80年』(1977.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
10月 国定教科書翻刻印刷のため日本書籍株式会社を設立、大橋新太郎が社長に就任。以後、博文館印刷所は同社の専属工場として国定教科書を印刷。 共同印刷のあゆみ
12月 東京山手線、品川‐田端間と池袋‐赤羽間開通。 印刷界と一般社会の動き
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
6月 大逆事件で、幸徳秋水ら検挙。 印刷界と一般社会の動き
7月 東京活版印刷業組合と東京石版印刷同業組合が合併、東京印刷同業組合が発足。 印刷界と一般社会の動き
明治45年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
7月 明治天皇崩御。 印刷界と一般社会の動き
9月 乃木大将夫妻自刃。 印刷界と一般社会の動き
- この頃からタクシー始まる。 印刷界と一般社会の動き
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
7月 第一次世界大戦起こる。 印刷界と一般社会の動き
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
4月 博文館印刷所、新写真科を設置。 共同印刷のあゆみ
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
11月 ロシアに十月革命起る。 印刷界と一般社会の動き
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
5月 わが国初のメーデーを開催。 印刷界と一般社会の動き
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
2月 精美堂を株式会社に改組。 共同印刷のあゆみ
10月 友愛会、日本労働総同盟と改称。 印刷界と一般社会の動き
11月 首相原敬、東京駅で撃たれる。 印刷界と一般社会の動き
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
2月 技能者養成の精美堂印刷学校創立。 共同印刷のあゆみ
3月 印刷工芸科を持つ東京高等工芸学校開校。 印刷界と一般社会の動き
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
9月 関東大震災で博文館印刷所は三階建て新工場倒壊、四十一名の犠牲者を出す。 共同印刷のあゆみ
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
4月 精美堂社長大橋光吉、欧米視察、十月帰国。 共同印刷のあゆみ
5月 総同盟左派、日本労働組合評議会結成。出版労働組合結成。 印刷界と一般社会の動き
12月 博文館印刷所と精美堂合併、共同印刷株式会社を創立、払込資本金三百万円。大橋光吉、初代社長に就任。 共同印刷のあゆみ
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