※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 資本金を六百万円に増額。 | 共同印刷のあゆみ | |
昭和13年(1938) | - | 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 社旗(デザイン・黒田千吉郎)を制定。 | 共同印刷のあゆみ | |
4月 | 国家総動員法公布。 | 印刷界と一般社会の動き | |
昭和14年(1939) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 横綱双葉山、六十九連勝。 | 印刷界と一般社会の動き | |
9月 | 第二次世界大戦起こる。 | 印刷界と一般社会の動き | |
昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 皇紀二千六百年奉祝記念として、姉妹会社十二社と連合、印刷紙業展示会を開催。 | 共同印刷のあゆみ | |
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 厚生大臣から重要産業工場に指定さる。 | 共同印刷のあゆみ | |
4月 | 国民学校発足。 | 印刷界と一般社会の動き | |
10月 | 印刷業界、大同団結して日本印刷文化協会設立。 | 印刷界と一般社会の動き | |
12月 | 太平洋戦争勃発。 | 印刷界と一般社会の動き | |
- | この年、カメラを用いず、組版からポジをとる方法及び平凹版を開発。 | 共同印刷のあゆみ | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 専務取締役大橋松雄死去(39歳) | 共同印刷のあゆみ | |
6月 | ミッドウェー海戦で大敗。 | 印刷界と一般社会の動き | |
11月 | 関門海底トンネル開通。 | 印刷界と一般社会の動き | |
12月 | 社長大橋光吉、緑綬褒章を受章。 | 共同印刷のあゆみ | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 出版社を百九十五社に統合。学徒出陣始まる。 | 印刷界と一般社会の動き | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 陸軍陸地測量部の指定工場となる。 | 共同印刷のあゆみ | |
6月 | 陸軍需品本廠の監督工場となる。 | 共同印刷のあゆみ | |
10月 | 印刷企業一万八千社を五千五百社に統合。 | 印刷界と一般社会の動き | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 戦災により全館全設備にわたって壊滅的な打撃を受ける。直ちに復興に着手。 | 共同印刷のあゆみ |