※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 広島、長崎に原子爆弾投下、終戦。 | 印刷界と一般社会の動き | |
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 労働組合結成。 | 共同印刷のあゆみ | |
2月 | 新円切りかえ、公職追放令施行。 | 印刷界と一般社会の動き | |
3月 | 大蔵省の管理工場となり、日銀新拾円券、A百円券その他重要印刷物を生産。 | 共同印刷のあゆみ | |
5月 | 皇居前広場で食糧メーデー。 | 印刷界と一般社会の動き | |
7月 | 初代社長大橋光吉死去(72歳)。専務大橋芳雄、第二代社長に就任。 | 共同印刷のあゆみ | |
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | GHQからの受注なる。 | 共同印刷のあゆみ | |
1月 | 二・一ゼネスト中止令出る。 | 印刷界と一般社会の動き | |
7月 | 大手印刷労組の「五社共闘」行われる。 | 共同印刷のあゆみ | |
昭和24年(1949) | - | 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 東京都電話番号簿を受注。 | 共同印刷のあゆみ | |
9月 | 日本印刷工業会創立。東販、日販など新取次会社九社創業。 | 印刷界と一般社会の動き | |
10月 | 紙幣印刷終了。 | 共同印刷のあゆみ | |
昭和25年(1950) | - | 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 社長大橋芳雄、日本印刷工業会会長に就任。 | 共同印刷のあゆみ | |
6月 | 朝鮮戦争起こる。共産党幹部追放さる。 | 印刷界と一般社会の動き | |
7月 | 総評結成さる。 | 印刷界と一般社会の動き | |
10月 | 東芝八色グラビア輪転機導入、多色グラビア印刷のパイオニアとなる。 | 共同印刷のあゆみ | |
昭和27年(1952) | - | 【渋沢敬三】貯蓄増強中央委員会会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | インドネシアの教科書を大量受注。 | 共同印刷のあゆみ | |
4月 | 対日平和、安保条約発効、日本独立。 | 印刷界と一般社会の動き | |
9月 | 第一回印刷文化展開催。 | 印刷界と一般社会の動き | |
昭和28年(1953) | - | 【竜門社】懸賞論文の募集を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 株式を公開、12月には資本金を一億五千万円に増額。 | 共同印刷のあゆみ |