※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 不況克服のため操業短縮を発表、組合が反対してストに入り、会社は工場閉鎖、以後約六十日にわたる大争議となる。 | 共同印刷のあゆみ | |
12月 | 改造社「現代日本文学全集」の刊行を開始、円本ブーム起る。 | 印刷界と一般社会の動き | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 片岡蔵相の失言で金融恐慌始まる。 | 印刷界と一般社会の動き | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 満州事変起こる。 | 印刷界と一般社会の動き | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 色刷りの国語読本「サイタサイタ」など新国定教科書使用開始。 | 印刷界と一般社会の動き | |
5月 | 五・一五事件で犬養首相射殺さる。 | 印刷界と一般社会の動き | |
8月 | 三号館竣工。 | 共同印刷のあゆみ | |
12月 | 社長大橋光吉、紺綬褒章を受章。 | 共同印刷のあゆみ | |
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 四号館竣工。 | 共同印刷のあゆみ | |
昭和10年(1935) | - | 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 秀英舎と日清印刷合併、大日本印刷となる。 | 印刷界と一般社会の動き | |
4月 | 社長大橋光吉、東京印刷同業組合組長及び大日本印刷聯合会会長に就任。 | 共同印刷のあゆみ | |
6月 | 本館と五号館竣工。 | 共同印刷のあゆみ | |
8月 | 石川達三「蒼氓」で第一回芥川賞受賞。 | 印刷界と一般社会の動き | |
10月 | 汽缶、捺染工場及び六号館竣工。 | 共同印刷のあゆみ | |
11月 | 官民の客数千人を招き、全館新築落成披露。 | 共同印刷のあゆみ | |
- | この年、初めて国定教科書に平版の多色刷り印刷を行なう。 | 共同印刷のあゆみ | |
昭和11年(1936) | - | 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 二・二六事件起こる。 | 印刷界と一般社会の動き | |
8月 | ベルリン・オリンピック開催。 | 印刷界と一般社会の動き | |
昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 文化勲賞を制定、長岡半太郎ら九人が第一回受賞。 | 印刷界と一般社会の動き | |
7月 | 蘆溝橋事件起こり、日中戦争に突入。 | 印刷界と一般社会の動き |