※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 西村勝三、築地一丁目に第二製靴工場を開く | 業界及一般 | |
11月 | 弾北岡組成立し、製革製靴を始める | 業界及一般 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 和歌山商会所廃業//西村勝三、銀座に依田西村組靴店を開く | 業界及一般 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 藤田伝三郎、ハイトケンペルをむかえ大阪本田に製靴工場を起す//和歌山の製革所組織変更 | 業界及一般 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 西村勝三、経営にくるしみ、旧佐倉藩主の援助を乞い、依田西村組と称す | 業界及一般 | |
8月 | 第一回内国勧業博覧会東京に開催//藤田組製革工場開業//西南役にて軍靴の需要増大す | 業界及一般 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月11日 | 大阪帯革製造所創業、革ベルト製作創始//大倉組商会、大阪に製革場を起す | 業界及一般 | |
12月 | 陸軍与規改正、軍靴はゴム付短靴・短靴、士官靴、騎兵靴の四種どなる//グットイヤー式製靴機械アメリカにて発明さる//西村製革工場技師濠州シドニー出張、黒象皮、底革の調査研究に当る | 業界及一般 | |
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 陸軍短靴の用革を肉面使用と決定//弾直樹、其の製革所を弾北岡組と改組す | 業界及一般 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 第二回内国勧業博覧会開催//農商務省設置//藤田製革工場桜橋移転 | 業界及一般 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 桜組の黒象皮、茶象皮、漉象皮陸軍採用となる | 業界及一般 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月20日 | 東京商業会議所設立 | 業界及一般 | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 依田西村組を桜組と改称 | 業界及一般 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 大倉組、和歌山製革所を合併す//新田ベルト製造所創業 | 業界及一般 | |
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 大倉喜八郎、藤田伝三郎共同にて内外用達会社を設立、大倉組、藤田組の製革製靴事業をゆだねる | 業界及一般 | |
- | 桜組、ロシアへ靴を輸出す | 業界及一般 | |
明治21年(1888) | - | 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 神戸に日本熟皮会社設立 | 業界及一般 | |
明治22年(1889) | - | 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月11日 | 帝国憲法発布 | 業界及一般 | |
5月 | 桜組の底革等陸軍省の検査合格 | 業界及一般 | |
7月 | 弾直樹死ぬ | 業界及一般 |