※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 住友より吉田季三を支配人として迎え営業組織確立 | 第四章 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 満五五歳定年制実施 | 第四章 | |
8月 | 一八〇万円の社債発行 | 第四章 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 世界初の音響実験室設置 | 第四章 | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | パイプオルガンの製作に成功 | 第四章 | |
12月 | 社債償還、期限前に元利一切償還完了 | 第四章 | |
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 川上嘉市社長、楽器・プロペラ工業視察のため欧米諸国へ渡航 | 第四章 | |
昭和11年(1936) | - | 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 天竜工場の建設に着手 | 第四章 | |
昭和13年(1938) | - | 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 資本金八七五万円に増資 | 第五章 | |
8月 | 陸軍管理工場となる | 第五章 | |
昭和14年(1939) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 社訓制定 | 第五章 | |
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 資本金一、七五〇万円に増資 | 第五章 | |
10月 | 全従業員戦時体制に備え徴用される | 第五章 | |
11月 | プロペラ試作研究機関として東京研究所、同製作所建設 | 第五章 | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 本社工場海軍監査工場、同天竜工場陸海軍共同管理工場に指定 | 第五章 | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 岩手工場新設単板製造開始 | 第五章 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | バラック建の佐久良工場へ本社のプロペラ部門移転 | 第五章 | |
11月 | 楽器類の生産完全休止 | 第五章 | |
12月 | 資本金三、〇〇〇万円に増資 | 第五章 | |
- | 当社工場軍需会社の指定をうける | 第五章 |