※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 京橋区築地に装身具工場を再開 | 主な動向 | |
7月 | 目黒区下目黒に工場を取得して本工場とし築地を分工場とする | 主な動向 | |
- | 連合軍指令により真珠の一般販売活動禁止となり、店では真珠は販売できずスーベニアショップとなる | 主な動向 | |
- | 日本国憲法公布 | 文化・社会の動向 | |
- | 新円と旧円の交換開始 | 文化・社会の動向 | |
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 国定教科書に幸吉の事績が載る | 主な動向 | |
- | 共同募金運動はじまる | 文化・社会の動向 | |
昭和23年(1948) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 連合軍将兵の幸吉訪問、養殖場見学が増大する | 主な動向 | |
昭和24年(1949) | - | 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | [○赤]真珠養殖、加工卸、輸出を事業目的とする御木本真珠株式会社を多徳に設立、社長御木本幸吉 | 主な動向 | |
5月 | [○黄]真珠の小売り、装身具の製造、加工を事業目的とする株式会社御木本真珠店を銀座に設立、社長御木本美隆 | 主な動向 | |
11月 | 農林商工省令により真珠の一般販売が再開される | 主な動向 | |
昭和25年(1950) | - | 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | [○青]駐日米軍司令官ウォーカー中将夫妻を迎え御木本真珠ヶ島開島式挙行 | 主な動向 | |
- | 朝鮮戦争始まる | 文化・社会の動向 | |
昭和26年(1951) | - | 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | [○青]有限会社御木本真珠ヶ島設立 | 主な動向 | |
3月 | [○黄] 横浜ニューグランドホテルに出店 | 主な動向 | |
3月 | [○赤]方座養殖場(三重県)を再開 | 主な動向 | |
11月24日 | 昭和天皇陛下多徳養殖場行幸 | 主な動向 | |
昭和27年(1952) | - | 【渋沢敬三】貯蓄増強中央委員会会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | [○黄]真珠店、新宿伊勢丹に戦後初の委託店を出店 | 主な動向 | |
6月 | [○青]真珠ヶ島で貞明皇太后「寄貝祝」御歌碑除幕 | 主な動向 | |
7月 | [○赤]真珠会社東京支店を中央区日本橋通りに新築 | 主な動向 |