(株)台湾銀行『台湾銀行四十年誌』(1939.08)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
9月30日 台湾事業公債法に依り始て五十万円の政府貸上を為す。
10月1日 日本銀行台北出張所より台湾に於ける金庫事務の引継を受く。
10月1日 台中、鳳山、嘉義、新竹、滬尾(現今の淡水)、澎湖島、宜蘭の七出張所を設置し翌二日開業す。
10月2日 神戸、台南両支店を開設す。
10月14日 横浜正金銀行上海、香港両出張所とコルレス契約を結び始て外国為替の取扱を開始す。
12月1日 基隆出張所を開設す。
12月25日 始て五円銀券を発行す。
明治33年(1900) - 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
3月24日 定時株主総会に於て監査役増員を決議し賀田金三郎氏当選就任す。
3月28日 基隆、台中、福州及汕頭各地に支店設置其の他定款変更の件大蔵大臣より認可せらる。
5月1日 厦門支店を開設す、是海外支店設置の嚆矢なり。
6月30日 始て台湾事業公債法に依る公債額面九十万円を本行に於て引受く。
9月1日 定時株主総会に於て政府所有株式一万株を除きたる残余の株式に対し始て本年上半季年六分の配当をなすことを決議し大蔵大臣より認可せらる。
9月1日 鳳山及嘉義両出張所を廃し打狗(現今の高雄)出張所を開設す。
11月30日 基隆出張所内に金銀分析所を設け金の鑑定並に買入を為す。
12月3日 始て五拾円銀券を発行す。
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
2月5日 始て拾円銀券を発行す。
3月2日 定時株主総会に於て前年下半季の配当を年八分とすることを決議し大蔵大臣より認可せらる。
3月8日 損失補填の為め特別積立金を設くることに関し定款変更の件大蔵大臣より認可せらる。
11月25日 頭取添田寿一氏辞任し副頭取柳生一義氏頭取に任命せらる。
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
3月1日 定時株主総会に於て前年下半季の配当を年九分とすることを決議し大蔵大臣より認可せらる。
PAGE TOP