※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
11月22日 | 1921年第2回仏国政府円国庫債券額面5千万円発行に付日仏銀行外16行と共に引受募集をなす. | ||
12月5日 | 朝鮮総督の認可を受け神戸出張所を支店と改称. | ||
12月8日 | 制限外発行限度2千万円を大正11年5月末迄4千万円に拡張の件、朝鮮総督の認可を受く. | ||
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月18日 | 東洋拓殖(株)第19回社債1千万円発行に付他のシンジケート銀行と共に引受募集をなす. | ||
2月19日 | 監事服部金太郎氏退任. | ||
3月11日 | 5分利国庫債券(け号)5千万円発行に付他のシンジケート銀行と共に引受募集をなす. | ||
3月22日 | (株)日本興業銀行業務代理契約延期の件、朝鮮総督の認可を受く. | ||
5月10日 | 5分利国庫債券(え号)5千2百万円発行に付他のシンジケート銀行と共に引受募集をなす. | ||
6月20日 | ウラジオストック松田銀行部を閉鎖. | ||
6月29日 | 理事片山繁雄氏退任. | ||
7月7日 | 1922年仏国政府円国庫債券5千万円発行に付他のシンジケート銀行と共に引受募集をなす. | ||
7月18日 | 理事吉田節太郎氏死亡. | ||
7月19日 | 監事木村雄次氏退任. | ||
7月20日 | 東洋拓殖(株)第22回社債券1千5百万円発行に付日本興業銀行外7行と共に引受募集をなす. | ||
8月2日 | 5分利国庫債券(き号)88,500千円発行に付他のシンジケート銀行と共に引受募集をなす. | ||
8月17日 | 南満州鉄道(株)第16回社債券2千万円発行に付他のシンジケート銀行と共に引受募集をなす. | ||
8月17日 | 鈴木穆氏理事に任命さる. | ||
8月17日 | 馬越恭平氏、伯爵奥平昌恭氏監事に就任. | ||
8月21日 | スパスカヤ貨幣交換所を撤廃. | ||
9月5日 | ニコリスク貨幣交換所を撤廃. |