※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月13日 | 株式取引条例制定 | 一般 | |
11月5日 | 家禄百石以上の者にも奉還許可 | 一般 | |
11月20日 | 小野組破綻閉店 | 一般 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月15日 | 官省札及び正金兌換証券の通用を五月末日限り停止し新紙幣と交換する旨布告 | 一般 | |
2月3日 | 政府より受託中の東京丸外三隻を以って横浜・上海間の定期航路を開始し外国船駆逐に当たる(我国外国定期航路の嚆矢) | 当行//前史 | |
2月4日 | 上海支店開設 | 当行//前史 | |
2月28日 | 一円銀を増量改鋳し貿易銀と改称 | 一般 | |
3月 | 国立銀行営業困難のため正貨兌換の制を改めんことを請う | 一般 | |
4月4日 | 郵便貯金預り規則発布(利子年三分、五月二日取扱開始) | 一般 | |
5月1日 | 三菱商会を三菱汽船会社と改称、社則を定め立社の体裁を明らかにす | 当行//前史 | |
5月 | 米国太平洋郵船会社と覇を海上に争わんとし、大いに社員を戒飭す | 当行//前史 | |
6月25日 | 新貨条例改訂、貨幣条例と改称布告 | 一般 | |
9月7日 | 家禄、賞典禄を金禄に改む | 一般 | |
9月15日 | 政府所有船十三隻の払下げを受け運航費助成金年二十五万円、海員助成金一万五千円を下附さる | 当行//前史 | |
9月18日 | 三菱汽船会社を郵便汽船三菱会社と改称 | 当行//前史 | |
9月23日 | 日本国郵便蒸汽船会社の船十七隻の払下を受け(所有船三十七隻)、米国太平洋郵船会社と競争す | 当行//前史 | |
10月16日 | 太平洋郵船会社の横浜・上海航路使用船及び陸上設備買収 | 当行//前史 | |
11月1日 | 郵便汽船三菱会社商船学校創設 | 当行//前史 | |
12月31日 | 横浜海岸通りに三菱製鉄所を設置し船舶修理の業を営む | 当行//前史 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 独、ライヒスバンク開業 | 一般 |