清水建設(株)『清水建設二百年. 経営編』(2003.11)

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目次項目 ページ
創業200年を迎えて 代表取締役会長 今村治輔 ii
発刊にあたって 代表取締役社長 野村哲也 iv
清水建設二百年 監修のことば 東京大学大学院教授 鈴木博之 vi
第1章 棟梁・親方の時代 文化元年~明治13年(1804年~1880年) p2
第1節 創業者初代清水喜助 p2
1-1 富山藩小羽村から宇都宮へ p2
(1) 大工修業への道 p2
(2) 清水包喜翁之碑 p3
(3) 小羽を離れて日光東照宮工事に参加 p4
1-2 棟梁・清水屋喜助 p6
(1) 神田鍛冶町で創業 p6
(2) 江戸城西丸御造営に参加 p7
(3) 高田八幡宮随身門を再建 p8
(4) 国名の受領 p9
1-3 横浜と初代清水喜助 p10
(1) 幕末外交における開港場 p10
(2) 開港場横浜の誕生 p10
(3) 開港場横浜への進出と定着 p11
(4) 横浜本町五丁目続 坂下町の清水屋 p11
(5) 新しい施主との出会い p13
(6) 初代清水喜助の後継者 p14
第2節 清七、二代清水喜助を襲名 p15
2-1 横浜居留地における展開 p15
(1) 二代喜助の出身地 p15
(2) 建築請負の事業化 p16
2-2 二代喜助の先見性と独創性 p17
(1) 貿易業務への意欲 p17
(2) 自費でホテル建設に取り組む p18
(3) 3万両の建設費用に2500両の手持ち資金 p19
(4) 築地ホテル館の建設と経営 p20
(5) 三井組の建築請負と資金調達 p22
(6) 建築請負業への布陣と二代喜助時代の終わり p26
第2章 土木建築請負業への発展 明治14年~大正3年(1881年~1914年) p34
第1節 清水満之助の登場 p34
1-1 土木建築請負業の勃興と発展 p34
(1) 土木建築請負業の成立 p34
(2) 今日の大手建設会社の相次ぐ創業 p35
1-2 棟梁の家に武家出身者 p35
1-3 清水満之助による果敢な経営改革 p37
1-4 土木事業への展開 p39
1-5 設計施工一貫体制への布石 p40
(1) 近代建築の黎明期を迎えて p40
(2) 造家学会への支援と工学士の招聘 p40
1-6 渋沢栄一の支援 p42
(1) 海外視察と清水満之助の急逝 p42
(2) 清水満之助夫人ムメの決断 p42
第2節 清水家家法の制定 p44
2-1 支配人原林之助の登場 p44
2-2 家法の制定 p45
(1) 同族経営による安定化 p45
(2) 同族会議の設置 p46
(3) 同族会議を廃止、元方会議を新設 p46
2-3 相談役渋沢栄一の指導 p47
(1) 企業家の理念“論語と算盤” p47
(2) 定用工事の大切さを説く p48
第3節 経営基盤を固めた諸規定の制定 p50
3-1 はじめての営業規則の制定 p50
3-2 支配人・技師長による両輪体制の確立 p51
3-3 生産現場の統制の強化と士気の向上 p52
3-4 清水方工事請負契約書の制定 p53
第4節 業績拡大にともなう経営基盤の整備 p54
4-1 業績の拡大 p54
4-2 下請業者の組織化 p55
4-3 営業拠点の展開 p58
(1) 国内営業網の整備・拡充 p58
(2) 台湾、朝鮮への進出 p60
4-4 深川工作場と栄進社の設立 p61
第5節 技術陣の強化と新技術の摂取 p61
5-1 清水店に入店した技術系の人々 p61
5-2 店員・職方の業務能力向上 p63
5-3 製図場から技術部へ p64
5-4 技術不振と岡本〓[壮+金]太郎による店則草案の提出 p65
5-5 鉄骨造、鉄筋コンクリート造の積極的導入 p66
第6節 支配人原林之助の建設業界改革運動 p68
6-1 造家学会で一式請負業者不要論と対峙 p68
6-2 建築業協会の創設 p69
(1) 米国の建設業界の視察 p69
(2) 建築業有志協会の使命 p70
6-3 建築家と請負業者との論争 p72
(1) 建築学会の工事請負規程制定委員会 p72
(2) 建築業協会の建築工事請負契約書及請負規程 p73
(3) 支配人原林之助の急逝 p73
第3章 建設業者としての原型を整備 大正4年~大正15年(1915年~1926年) p80
第1節 建設業界の覚醒 p80
1-1 産業界の興隆 p80
(1) 戦後恐慌から大戦景気へ p80
(2) 産業界の躍進と都市化の進展 p80
1-2 建設業界の再編と関東大震災 p82
(1) 業界団体の全国統一 p82
(2) 関東大震災の影響 p82
1-3 激しい好不況の波に洗われた業績 p84
(1) 受注工事高の伸長と当期利益の激減 p84
(2) 大型工事の急増と店員数の激増 p85
第2節 建築士と建築請負業者の覚醒 p86
2-1 建設業界の三大問題 p86
(1) 四会連合協定標準請負契約約款の制定 p86
(2) 日本土木建築請負業者連合会の結成 p87
(3) 三大問題の解決 p88
2-2 建築設計界と建築請負業界 p89
(1) 建築技師と請負業者の関係 p89
(2) 設計施工一貫と設計施工分離 p89
(3) 建築士の専業と兼業 p90
第3節 清水釘吉、店長に就任 p91
3-1 合資会社清水組へ改組 p91
(1) 三分家の調和を図った改革 p91
(2) 事業の隆盛と資本金の増額 p92
3-2 営業規則の改正と店員心得の制定 p93
(1) 工場長制度の新設 p93
(2) 技術部から設計部へ p95
3-3 設計部門の独立問題 p96
(1) 工事部と設計部の立場 p96
(2) 設計部独立案趣意書 p97
第4節 渋沢栄一の引退と特別調査会の創設 p98
4-1 釘吉三男康雄、四代満之助の養嗣子に p98
(1) 清水ムメの還暦祝賀会と死去 p98
(2) 清水ムメの遺言 p99
4-2 諮問機関、特別調査会の設置 p100
(1) 三分家合議の限界 p100
(2) 店員各層からの意見の集約 p100
第5節 営業拠点展開と関連事業 p101
5-1 営業拠点の拡大 p101
5-2 自社工場の充実と主要資材の加工製作 p102
(1) 清水組深川鉄工所新設、芝浦へ移転 p102
(2) 石山・砂利・木材の直接調達 p103
第6節 米国建設会社から学んだ生産近代化 p104
6-1 米国施工生産方式を学習 p104
(1) 米国フラー社に研修生を派遣 p104
(2) 丸ノ内ビルヂング工事の与えた影響 p105
6-2 三井本館工事を通じて学ぶ p107
第7節 関東大震災と清水組 p108
7-1 顧客優先の災害復興工事 p108
(1) 実業之日本社に対策本部を設置 p108
(2) 「非常時にこそ奉公せよ」 p109
(3) 大小480件の復旧工事 p110
(4) 東京本店での機械一元管理 p111
(5) 東京会館の新築と復旧 p112
第4章 昭和不況から準戦時体制へ 昭和2年~昭和11年(1927年~1936年) p118
第1節 昭和不況、世界恐慌からの脱出 p118
1-1 不況から回復へ p118
(1) 昭和不況 p118
(2) 高橋財政による好転 p119
1-2 恐慌下の建設業界 p119
1-3 業績不振の打開 p121
(1) 業績の急低落と回復 p121
(2) 景気回復、当社にも好影響 p123
(3) 一般入札、海外、土木での受注活動 p123
第2節 特命受注の激減と入札受注体制の強化 p124
2-1 組織改正と理事会の創設 p124
(1) 工事部6部制の導入 p124
(2) 外部人材の招聘と理事会の新設 p126
2-2 受注活動の強化 p127
(1) 入札による受注の積極化 p127
(2) 入札受注した大型建築工事 p128
(3) 土木・官庁工事入札への対処 p129
(4) 不成立に終わった関西圏営業拠点構想 p130
(5) 内山熊八郎の奮闘 p131
(6) 特命受注へのこだわり p131
第3節 外部人材の導入による経営革新 p133
3-1 清水康雄の宗家当主と佐野利器の招聘 p133
(1) 工学博士佐野利器の副社長就任 p133
(2) 佐野利器の経営改革 p134
(3) 人員整理と営業規程の改正 p136
(4) 渋沢栄一の死去 p137
(5) 佐野利器の退社 p138
3-2 内山熊八郎の専務理事就任 p140
(1) 総務会の新設 p140
(2) 工事長制度の復活 p140
(3) 兼喜会の設立 p141
(4) 社員会、総務会、理事会の制度化 p141
(5) 内山熊八郎の急逝 p142
(6) 三常務体制の実施 p144
第4節 土木分野への再挑戦 p145
4-1 土木部門の黎明期 p145
4-2 工事部第六部の新設 p145
4-3 土木技術者の人材強化を図る p146
(1) 「10年の修行期間」 p146
(2) 土木部門の基礎を築いた人たち p146
4-4 大型土木工事の受注 p147
(1) 民間鉄道・地下鉄・ダム工事の受注 p147
(2) 東京・大阪の地下鉄工事 p148
(3) 矢作水力泰阜発電所工事 p149
第5節 海外事業と関連事業 p150
5-1 相次ぐ技師の海外視察 p150
(1) 小笹徳蔵と徳政金吾の派遣 p150
(2) 幻のオリンピック東京大会と海野浩太郎 p151
5-2 国内営業拠点網の拡大・整備 p151
5-3 アジア市場への本格進出 p152
(1) 台湾出張所を支店に昇格 p152
(2) 満州国建国と営業拠点 p153
(3) 中国・朝鮮半島 p154
5-4 関連事業の展開 p154
(1) 日本ビチュマルス舗装工業株式会社設立 p154
(2) 芝浦鉄工所を合資会社東京鉄骨橋梁製作所へ p155
第5章 企業経営の停滞 昭和12年~昭和20年(1937年~1945年) p158
第1節 戦時統制経済のなかで p158
1-1 総力戦のための国家総動員 p158
1-2 戦時体性下における建設業界 p159
(1) 資材統制強化と労働力の動員 p159
(2) 工業組合法の適用 p160
(3) 軍建協力会と海軍施設協力会 p160
(4) 日本土木建築統制組合と戦時建設団 p161
1-3 軍関係・軍需産業工事による業績の急伸 p162
(1) 株式会社清水組へ移行 p162
(2) 軍需産業・軍関係施設の大幅受注増 p162
(3) 戦時下の工事受注 p163
第2節 株式会社組織への移行 p165
2-1 改組までの経緯 p165
2-2 社長清水釘吉の意見書 p165
2-3 株式会社清水組設立と合資会社の合併 p167
第3節 清水康雄の社長就任 p168
3-1 南樺太への進出 p168
3-2 常務福島政吉の死去と四常務体制 p168
3-3 紀元2600年式典の諸施設工事 p169
3-4 清水康雄の社長就任 p170
第4節 臨戦態勢下での内外経営の変容 p171
4-1 本社機能の強化と東京支店の設置 p171
(1) 本店現業部門の機構改革 p171
(2) 代表権をもつ専務取締役制度を採用 p173
4-2 応召・応徴社員の激増 p173
4-3 社長清水康雄の檄 p175
4-4 拡大する外地の支店展開 p176
(1) 台湾 p176
(2) 朝鮮 p176
(3) 満州 p176
(4) 中国 p177
(5) 南洋方面 p178
第5節 戦局悪化のなかで p180
5-1 社長清水康雄、昭和天皇に拝謁 p180
5-2 建築工員養成所の設置 p181
5-3 非常事態での決意表明 p182
5-4 東西両統理による内地支店統括 p183
5-5 本社空襲と軍需充足会社指定 p184
5-6 終戦を迎える p186
第6章 戦後復興と経営再建 昭和21年~昭和29年(1946年~1954年) p188
第1節 復興から経済自立へ p188
1-1 焦土からの戦後復興 p188
(1) 荒廃から新生国家の建設 p188
(2) 戦時補償打ち切りと企業再建整備法 p188
(3) 経済安定本部の発足と経済団体の設立 p189
(4) “ドッジライン”による安定恐慌 p189
(5) 膨大な特需と日本の独立 p190
1-2 再生する建設業界 p191
(1) 戦後復興と建設業 p191
(2) 業界三団体の設立 p192
(3) 建設省の誕生と建設業法の制定 p193
1-3 経営再興と新時代に向けた経営基盤づくり p194
(1) 終戦時の清水組 p194
(2) 人員整理と清水建設の誕生 p195
(3) 沖縄米軍基地工事と特需による受注の激増 p196
(4) 第一次ビルブームの最中に迎えた創業150年 p197
1-4 進駐軍工事から電源開発ブームへ p198
(1) 進駐軍接収施設の改修工事 p198
(2) 沖縄米軍基地工事 p198
(3) 梱包工事 p199
(4) 黒又川第一ダム建設 p200
第2節 社長清水康雄のもと、経営再建 p200
2-1 戦後経営の基本方針 p200
(1) 8月18日、宝町本社にて業務再開 p200
(2) 「平和日本建設の先駆をなせ」 p201
(3) 戦後初の重役会 p201
2-2 企画委員会の答申 p202
(1) 人事・組織に対する三つの方策 p202
(2) 食糧と仕事の確保 p203
(3) 砧清水村の建設 p204
(4) 相次ぐ関連会社の設立 p204
2-3 技術の向上と経営理念の確認 p205
(1) 本社・東京支店機構の再編 p205
(2) 各種解説書の発行と社員研修 p206
(3) 『現場主任必携』で再確認された“信用第一” p206
(4) 明朗精神実行週間と綱紀刷新委員会 p207
第3節 占領改革による試練 p208
3-1 戦時補償打ち切りの影響 p208
(1) 在外資産の喪失と新旧勘定切り替え p208
(2) 企業再建整備計画完了と増資 p209
3-2 進駐軍工事の急増 p210
3-3 労働環境の整備 p212
(1) 清水組職員組合の結成 p212
(2) 取引業者の下請制と直傭制 p213
(3) 安全委員会制度の導入 p215
3-4 清水康雄の業界・団体活動 p216
第4節 新生清水と組織再編 p217
4-1 清水建設株式会社へ社名変更 p217
(1) 2室8部体制に再編 p217
(2) 営業部の新たなるスタート p219
4-2 相談役清水釘吉の死去 p220
4-3 デフレ経済下、はじめての予算制導入 p222
4-4 資産再評価への対処 p223
(1) 減価償却の適正化 p223
(2) 業績の向上と増資 p223
第5節 業績の好転と伸長 p225
5-1 沖縄米軍基地工事 p225
5-2 本格的な民間復興 p226
(1) 膨大なビル建設の潜在需要 p226
(2) ビルブームの象徴、新丸ノ内ビルヂング p227
5-3 戦後土木部のスタート p228
(1) 新たな土木部の誕生 p228
(2) 新清土木株式会社の設立から合併まで p228
(3) 土木部門の強化策 p230
(4) 黒又川第一ダム p230
第6節 経営の近代化と建設技術の革新 p232
6-1 戦後初の海外視察 p232
6-2 月次決算方式の導入 p233
6-3 研究部門の強化と新技術の導入・開発 p234
(1) 研究室の創設 p234
(2) 研究部の強化と新工法の開発 p235
(3) 「プレパクトコンクリート工法」の技術導入 p236
(4) 建設機械と鋼製仮設材の自社保有 p237
第7章 総合建設業としての確立 昭和30年~昭和47年(1955年~1972年) p240
第1節 自由世界第2位の経済大国へ p240
1-1 高度成長と産業構造変化 p240
(1) 国も国民も輝いていた時代 p240
(2) 記録的高度成長の昭和40年代 p241
1-2 総合建設業者への成長 p242
(1) 建設業急成長の“黄金時代” p242
(2) 拡大成長をつづける建設業 p243
1-3 堅実経営と業績の好転 p245
(1) 業績の拡大と財務体質の充実 p245
(2) 業者間競争の激化と東証一部上場 p246
1-4 多様化・高度化する建設需要 p247
(1) コンビナート建設工事の受注拡大 p247
(2) 国家的大プロジェクトの相次ぐ受注 p248
(3) 新分野への進出と積極的受注活動 p249
(4) 機械化施工から大型技術開発へ p251
第2節 経営の集中管理体制の確立 p252
2-1 昭和35年の職制合理化 p252
(1) 属人的体制からの脱却 p252
(2) 職制合理化五つのねらい p252
(3) 常務会制度の導入 p253
2-2 IBMシステムの導入とテレックス通信網の構築 p254
2-3 集中購買と月次決算による原価管理の一元化 p257
2-4 建設機械化の進展と鋼製仮設材の導入 p258
2-5 人事・教育・厚生諸制度の整備 p259
(1) 資格制度と人事考課制度の導入 p259
(2) 勤労課の新設と教育訓練規程制定 p259
(3) 持ち家取得制度と社宅・社寮の整備 p260
第3節 取引業者の指導・育成と安全管理 p261
3-1 常態化した建設技能労働者の不足 p261
3-2 取引業者の指導育成に関する基本方針 p261
3-3 取引業者の体質強化のための諸施策 p262
(1) 清水建設全国連合兼喜会の結成 p262
(2) 建設業退職金共済制度の普及 p262
(3) 「取締業者標準見積要項」の制定・実施 p263
(4) 労務指導の重点施策 p263
3-4 安全管理体制への取り組み p264
(1) 「安全確保は企業の社会的責任」 p264
(2) 兼喜会災害防止協議会の設立 p265
(3) 「やらされる安全」から「やる安全」へ p265
第4節 総合建設業への道標 p266
4-1 新社屋の完成 p266
4-2 東証一部上場企業へ p266
(1) 運転資金と設備投資 p266
(2) 増資と株式の公開 p267
(3) 清水家家法の廃止 p268
(4) 従業員持株会の発足 p268
4-3 社員出身の吉川清一、社長に就任 p269
(1) 社長清水康雄の急逝 p269
(2) 新社長就任の経緯 p270
(3) 企業風土“堅実経営”の踏襲 p271
4-4 本社スタッフ、建築・土木現業の大改正 p271
(1) 現業部門の強化と作業所長制度 p271
(2) 建築設計部門の用途別プロジェクト組織への移行 p272
(3) 本部制の導入と総合企画室の設置 p273
第5節 研究所の強化と拡充 p273
5-1 研究所の発足 p273
(1) 大手建設業の研究所 p273
(2) 現場のニーズに密着した研究所 p274
5-2 生産性向上のための研究 p275
5-3 研究所の新築・移転 p275
5-4 技術開発本部の新設 p275
第6節 需要創造をねらう営業体制 p276
6-1 営業調査部の設置 p276
6-2 営業部の改革・強化 p277
(1) 営業担当専務の誕生 p277
(2) ビルコンサルタント部の新設 p278
(3) 若手営業部員の投入 p279
(4) “攻めの営業”へ p279
第7節 高度化する建築分野への挑戦 p280
7-1 原子力発電所建設の受注 p280
(1) 黎明期から参画 p280
(2) 東海原子力発電所 p281
(3) 低迷から復活へ p282
7-2 量産住宅の工業化 p283
(1) 200万戸の住宅不足 p283
(2) 量産住宅部の新設 p283
(3) キャラバンプラント p285
(4) 高層PC住宅への発展 p285
(5) パイロットハウス技術考案競技の入賞 p286
(6) 住宅分譲事業の飛躍 p287
7-3 超高層ビル時代へ p288
(1) 高さから容積の制限へ p288
(2) 高さ75mの第一生命保険大井本社 p289
(3) 朝日東海ビルの建設 p289
第8節 土木部門の成長 p290
8-1 大規模土木時代の到来 p290
(1) ダム施工経験の蓄積 p290
(2) 民間土木分野の広がり p292
8-2 戦略的技術開発に向けて p293
(1) 外部から人材招聘 p293
(2) 土木強化の経営方針 p294
(3) 土木技術スタッフの増強 p294
第9節 海外事業・開発事業への助走 p295
9-1 慎重を期した海外進出 p295
(1) 海外事業の揺籃期 p295
(2) 設計・工事監理業務での進出 p295
(3) 東パキスタン・プロジェクト p297
(4) 海外要員の養成 p298
9-2 不動産事業への進出 p299
(1) 宅地建物取引業者の免許取得 p299
(2) 新松戸ニュータウン事業に着手 p300
第8章 国際的EC企業への展開 昭和48年~平成2年(1973年~1990年) p304
第1節 激動する内外情勢 p304
1-1 安定成長する内外情勢 p304
(1) 一変した経済環境と景気低迷 p304
(2) 貿易摩擦と財政赤字 p305
(3) 内需主導型経済への転換 p305
(4) バブル経済とその崩壊 p306
1-2 建設業“冬の時代”と“夏の時代” p307
(1) 建設業“冬の時代”の到来 p307
(2) EC化・国際化からTQC活動へ p309
(3) バブル経済の発生と建設業“夏の時代”の到来 p310
1-3 EC化とSPRING計画によるビジョン経営 p311
(1) 社長野地紀一のEC化指向 p311
(2) 社長野地紀一の業界・財界活動 p313
(3) 社長吉野照蔵のTQCによる経営革新とSPRING計画 p314
(4) 取引業者育成と安全対策 p316
1-4 国際的EC企業への道標 p317
(1) 海外大型プロジェクト p317
(2) EC化、ターンキー・プロジェクトでの総合力の発揮 p319
(3) 多様化したエネルギー関連プロジェクト p320
(4) 特定街区・民活プロジェクト p320
(5) 国家的プロジェクト p321
第2節 社長野地紀一の掲げた「EC戦略」 p323
2-1 「現状維持は敗北である」 p323
2-2 EC化指向 p324
2-3 業務改善委員会と職制改正 p324
(1) 業務改善委員会の設置と基本理念 p324
(2) 5本部体制への機構改革 p325
2-4 工事長・事務長制度の発足 p327
(1) 作業所長制度検討委員会 p327
(2) 工事長・事務長による責任管理 p327
2-5 多角化への取り組み p328
2-6 初の「経営5ヵ年計画」(昭和56~60年度) p329
第3節 営業・土木部門の強化と拡充 p330
3-1 戦略的営業展開部員の増強 p330
3-2 地域開発・開発事業への進出 p332
3-3 技術を生かした営業活動の重視 p333
(1) 技術営業の重視 p333
(2) 技術重視の経営の推進 p333
(3) ターンキー方式のエンジニアリング p335
(4) 大崎研究室の創設 p336
3-4 土木部門で2000億円達成 p337
(1) 土木本部の新設 p337
(2) 土木分野での技術営業 p338
第4節 開発事業への本格的取り組み p340
4-1 不動産本部の設置 p340
4-2 戸建住宅事業の展開と撤退 p341
4-3 大規模ニュータウン開発の推進 p342
4-4 開発事業の体制整備と拡大 p344
第5節 国際化による海外工事の急増 p345
5-1 海外市場への本格進出 p345
5-2 組織体制の変遷 p346
5-3 海外営業拠点の確立と海外事業の発展 p346
(1) 中近東への進出 p346
(2) 東南アジア諸国への本格進出 p349
(3) 南米を皮切りに北米・欧州への進出 p351
5-4 人材の育成と海外留学制度 p352
(1) プロジェクト・マネージャーの育成と活躍 p352
(2) 海外留学制度 p354
第6節 経営革新と全社的品質管理(TQC) p355
6-1 全社的品質管理の導入 p355
6-2 TQC活動の推進 p357
6-3 方針管理の展開 p358
6-4 取引業者と一体の品質保証活動 p359
第7節 社長吉野照蔵のもと大手総合建設業へ p360
7-1 総合技術力と営業の強化 p360
7-2 「デミング賞実施賞」の受賞 p361
7-3 EC化戦略にともなう機構改革 p363
(1) 総合技術力と営業の強化 p363
(2) 営業機能の強化 p364
第8節 「SPRING計画」と「C&DE戦略」 p366
8-1 初の長期事業ビジョンの策定 p366
8-2 「SPRING計画」策定後の事業展開 p368
(1) 推進体制の整備・拡大 p368
(2) 開発事業(SD)の展開 p368
(3) 新規事業(BD)の展開 p371
(4) エンジニアリング事業の多彩な展開 p372
8-3 建築分野での技術提案営業 p373
(1) インテリジェントビルからサイバービルへ p373
(2) 医療福祉分野への取り組み p374
8-4 ニューフロンティアへの取り組み p375
(1) 地下空間開発分野 p375
(2) 宇宙開発分野 p376
(3) 海洋開発分野 p377
第9節 海外事業の拡大と多角化 p378
9-1 要員400名、受注高900億円体制の確立 p378
(1) 海外事業の多角化を推進 p378
(2) 海外要員の育成強化 p379
9-2 C&DE事業戦略に基づく拡大 p380
(1) アジアでの建設事業展開 p380
(2) 米州・豪州・欧州市場での建設事業展開 p381
(3) 海外不動産開発事業の展開 p382
(4) 事業拡大期における国際活動の展開 p385
第10節 資金調達の多様化 p386
10-1 積極的経営における資本政策 p386
10-2 外債と転換社債の発行 p387
10-3 間接調達から直接調達へ p388
10-4 シミズグループの資金調達 p389
第9章 新価値建設企業の実現に向けて 平成3年~平成15年(1991年~2003年) p394
第1節 グローバル化と大競争時代 p394
1-1 不安と変革の動き p394
(1) 地球規模の情報社会の到来 p394
(2) バブル崩壊と不況の深刻化 p394
(3) 見直しを迫られた日本型経営システム p395
(4) 都市と地方の経済活性化策 p396
1-2 変革期を迎えた建設業界 p396
(1) 止まらない建設投資の縮小傾向 p396
(2) 業界刷新と発注方式の変化 p398
(3) 阪神・淡路大震災と建設業界 p399
(4) 環境問題への対応 p400
(5) 省庁再編による国土交通省の発足 p401
(6) 国際化と21世紀の総合建設業 p401
1-3 「SHIMZ-21」から「S・WingNX」へ p402
(1) 業績低迷下での苦悩の決断 p402
(2) 長期ビジョン「SHIMZ-21」の策定 p403
(3) 相談役吉川清一の死去 p404
(4) 情報化の進展と新生産体制構築への取り組み p404
(5) 経営のスリム化から「S・WingNX」へ p406
1-4 新たな市場環境・顧客ニーズへの的確な対応 p407
(1) 超高層ビル・超高層集合住宅 p407
(2) 生産・研究・商業施設 p408
(3) 医療福祉・教育施設 p409
(4) 宿泊施設 p410
(5) 都市・海外土木施設 p410
(6) 伝統建築 p411
(7) 大使館・テーマパーク p411
第2節 社長今村治輔と「SHIMZ-21」 p412
2-1 五つの経営課題 p412
2-2 芝浦「シーバンス」建設と本社機能の移転 p413
(1) 新時代のオフィスビル p413
(2) 社内LANを装備し高度情報化に対応 p414
2-3 会長吉野照蔵の日建連会長就任 p416
2-4 新長期ビジョン「SHIMZ-21」 p416
(1) 好況時こそ未来を見直すチャンス p416
(2) Where戦略からHow to戦略へ p416
(3) 西暦2000年の企業イメージと経営理念 p417
(4) 長期下降局面の予兆 p418
第3節 ゼネコン不祥事と阪神・淡路大震災 p419
3-1 緊急対策特別委員会 p419
3-2 経営刷新のための基本方針と施策 p419
3-3 企業倫理行動規範の制定 p422
3-4 阪神・淡路大震災復旧活動 p423
(1) 震災の発生と神戸支店 p423
(2) 全社あげての災害支援・復旧活動 p424
(3) 「地震構造対策委員会」の立ち上げ p426
第4節 不動産開発事業の整理 p427
4-1 海外不動産投資の損失発生 p427
4-2 海外における不動産不況の到来 p427
4-3 欧州と豪州の開発事業の整理 p429
4-4 米国開発事業の整理 p429
4-5 国内における開発事業の整理 p430
(1) 保有不動産の総額6400億円 p430
(2) 「清水総合開発」の設立と開発事業の再構築 p431
4-6 不動産開発事業の整理を終えて p431
第5節 経営改革への取り組み p432
5-1 スリム化に向けた努力 p432
5-2 平成10年度の経営改善策 p433
5-3 平成11年度の経営改革 p434
(1) 経営改革五つの基本課題と八つの課題 p434
(2) 組織・マネジメント改革のねらい p435
5-4 執行役員制度の導入 p436
5-5 販管費の大幅な削減 p438
5-6 最優先課題、財務体質の健全化 p439
第6節 コスト競争時代と生産体制の見直し p440
6-1 生産システム改革 p440
6-2 総合生産システムからコストダウン活動へ p441
6-3 ITを駆使した「生産センター」の新設 p442
6-4 土木の生産システム改革 p443
(1) 土木統合生産プロジェクトの推進 p443
(2) 土木生産システム改革委員会とパワーアップフェア p443
6-5 取引業者の育成と安全管理 p444
(1) 取引業者の育成強化 p444
(2) 建設業労働安全衛生マネジメントの運用 p445
6-6 ビルライフケア(BLC)事業の強化 p446
6-7 電子調達の推進 p448
(1) 最近の調達組織の変遷 p448
(2) 調達業務の改革の推移 p449
(3) IT化で変わる調達業務 p450
第7節 情報化への取り組み p451
7-1 ホスト集中処理から分散処理へ p451
7-2 インターネット・イントラネット利用の拡大 p452
(1) 社内情報共有ツール「CABINET」とイントラネット p452
(2) “2000年問題”の処理 p453
7-3 インターネットホームページの開設と充実 p453
7-4 管理系システムの電子承認化と効率化 p454
7-5 コンピュータ教育 p455
第8節 品質・環境マネジメントシステムの構築 p456
8-1 『清水地球環境憲章』の制定 p456
8-2 「ISO9001」認証取得 p457
8-3 環境マネジメントシステム p458
(1) 「ISO14001」認証取得 p458
(2) ゼロエミッションと環境報告書 p459
第9節 社長野村哲也と「S・WingNX」 p460
9-1 “ものづくりの原点・商売の原点” p460
9-2 新長期ビジョンの策定 p461
(1) 10年を見通した経営環境の認識 p461
(2) ビジョンの基本的考え方 p462
9-3 シミズ新世紀ビジョン「S・WingNX」 p462
第10節 “新価値建設企業”の実現に向けて p464
10-1 事業家公募制度の導入 p464
10-2 ビジョン実現に向けた機構改革と人材育成 p465
(1) 守りから攻めに転じる体制の確立 p465
(2) 事業部門の再編・強化 p467
(3) 営業戦略と技術戦略の融合 p468
(4) 本社スタッフの再編・強化 p468
10-3 エンジニアリング事業の強化 p469
10-4 個性と創造力を育む人材開発 p470
10-5 ライフサイクルパートナー事業の展開 p471
(1) “顧客第一”から“顧客価値創造”へ p471
(2) 投資開発事業への取り組み p472
(3) ライフサイクルマネジメント(LCM)の推進 p474
10-6 一歩一歩着実に歴史を進める p476
資料 p479
年表 p551
参考文献 p595
索引 p596
編集後記 NP
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