(株)読売新聞社『読売新聞八十年史』(1955.12)

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商品 文学新聞へ 明治二十二年十二月二十三日 写真、明治二十二年十二月二十三日発行停止解除の日を期して本紙は文学新聞へのスタートを切った。坪内逍遥・尾崎紅葉・幸田露伴の入社を社告するとともに「頓首再拝......斎戒沐浴」の社説を掲げてその意気を示した。//文学新聞の開拓者 主筆 高田早苗 明治20年―23年、文学新聞への提案者 客員 坪内逍遥、尾崎紅葉、幸田露伴、社会部長として「よみうり抄」を創設した 島村抱月 明治三一年―三三年、文芸主任 正宗白鳥 明治三六年―大正元年、編集長兼文芸部長 上司小剣 明治三〇年―大正五年 〔2-〕8*
商品 河竹黙阿弥の鼠小僧と逍遥の黙阿弥シェイクスピヤ比較論 明治二十一年一月三日から 写真、河竹黙阿弥の最も油の乗り切った時期の代表作の一つである鼠小僧が明治二十一年一月三日から本紙上に連載されたが、この年小説の筆を断ち演劇改良に乗り出した坪内逍遥は、春のや主人の筆名で同じ日の本紙に黙阿弥を紹介する長論を発表し「断じていふ河竹翁は我国の沙翁なり」といった。写真はその記念すべき論文(上)と黙阿弥作の鼠小僧(下)で、円内は珍しい洋服姿の黙阿弥である。 〔2-〕12*
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