(株)読売新聞社『読売新聞八十年史』(1955.12)

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商品 日華事変の速報戦――本社が発行した「第一夕刊」「第二夕刊」―― 昭和十二年八月十七日 写真、昭和十二年七月日華事変起るや、本社は同年八月十七日から八ページ夕刊を分割して夕刊随時二回発行を断行し、事変ニュースの速報につとめた。写真はその第一日。 〔2-〕31*
従業員 日華事変における本社特派員決死の活躍 昭和十二年十月~昭和十二年十二月 写真、上海陸戦隊大西部隊の斥候佐々木一等兵が敵弾に倒れた。それ佐々木を救えと五名の決死隊が敵前へ飛び出した。たちまち発煙筒の煙幕!本社の宮川特派員は血を浴びて決死隊の突入を撮影した。 昭和十二年十月//上海南方戦線でわが軍が敵弾下煙幕を展開してクリーク畔を突進する一瞬、二宮特派員は勇敢にもごう(壕)内から半身を乗出してこの写真を撮影した。 昭和十二年十一月//弾雨の下に鉄条網を切る藤田部隊の勇士 劉家行戦線にて(藤沢写真部次長撮影) 昭和十二年十月//無錫総攻撃=桑畑にひれ伏してジリジリと敵陣に肉薄する。本社の渡辺特派員が戦死したのもこの一戦であった。(佐々木特派員撮影) 昭和十二年十二月 〔2-〕32*
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