東陶機器(株)『東陶機器七十年史』(1988.05)

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目次項目 ページ
発刊に寄せて 取締役会長 山田勝次 取締役社長 古賀義根 NP
巻頭口絵 可能性の極限に挑む 巻頭
歴史口絵 1912-1987 巻頭
現況口絵 現況 巻頭
〔沿革〕 p1
序章 創業前史(明治初期~大正6年4月) p1
第1節 陶磁器産業の夜明け p1
1. 森村組と陶磁器産業 p1
森村組の創業 p1
陶磁器へ進出 p1
明治初期のわが国陶磁器産業 p1
絵付業の成立と問屋制資本の出現 p1
2. 工場制工業への志向 p7
専属絵付工場と手窯の設置 p7
絵付工場の集約をはかる p7
白色素地研究と原料貯蔵所の開設 p7
3. 硬質白色磁器の開発 p13
日本陶器合名会社の設立 p13
苦難の素地改良と焼成 p13
ディナーセットの完成 p13
第2節 衛生陶器国産化へ向けて p16
1. 製陶研究所の設立 p16
大倉和親の決意 p16
陶業の新分野を手がける p16
衛生陶器の研究・試作 p16
2. 小倉工場の建設 p21
大事業を胸に欧米視察 p21
小倉に工場用地を確保 p21
工場建設に着工 p21
新会社設立に向けて p21
第1章 東洋陶器株式会社の発足(大正6年5月~昭和3年) p27
第1節 大いなる理想に燃えて p27
1. 設立と操業開始 p27
東洋陶器株式会社の設立 p27
徐々に諸制度を整備 p27
衛生陶器生産に着手 p27
磁食器の生産始まる p27
販売活動の展開 p27
2. 拡張工事とトンネル窯の築造 p33
第2期・第3期工事の実施 p33
ドレスラー式トンネル窯の導入 p33
第2節 恐慌下の地固め p36
1. 戦後大恐慌の洗礼 p36
不況到来と磁食器輸出の頓挫 p36
経営、苦境に陥る p36
2. 苦境乗切りに努力 p39
不況対策を推進 p39
陶食器への進出 p39
生産技術面の改善・開発 p39
東京出張所を開設 p39
東南アジア市場の開拓 p39
抜本的な減資と増資 p39
第3節 様変りの業績向上 p46
1. 関東大震災と衛生陶器需要の拡大 p46
関東大震災の発生 p46
復興需要の定着 p46
生産設備・技術の拡充 p46
熔化質素地による衛生陶器の実現 p46
多様化する衛生陶器 p46
2. 食器部門の伸長 p53
和食器の開発 p53
食器流通機構の拡充 p53
3. 独自の輸出体制を確立 p55
海外市場の開発に注力 p55
日東洋行(ジャワ)の設立 p55
4. 製品3本柱の確立と経営形態の革新 p57
相互補完の3製品 p57
財務体質の改善進む p57
利益金3均分の精神 p57
第2章 発展への基礎固め(昭和4年~12年) p63
第1節 経営基盤の確立 p63
1. 恐慌のもとでの経営 p63
昭和恐慌の到来 p63
中小企業の危機と陶磁器産業 p63
企業体質の強化をはかる p63
2. 不況が呼んだ軋み p68
磁食器部門統合の提案 p63
飯野・百木会談の帰結 p63
新たに製造部門統合の申入れ p63
国内販売統制部の設置 p63
小型トンネル窯築造計画の波紋 p63
日本陶器の和食器進出決定 p63
3. 生産技術の革新 p75
焼成に重油燃料を採用 p75
焼成方法改善の歩み p75
カーボラジアント角窯の築造 p75
ドレスラー式トンネル窯第3号の改造 p75
わが国初の磁食器本焼用トンネル窯を築造 p75
加湿乾燥装置などの設置 p75
大物成形の成功 p75
4. 衛生陶器の好調と磁食器部門の停滞 p82
製品の多様化進む p82
衛生設備工事への志向 p82
付属金具の供給を検討 p82
苦闘する磁食器部門 p82
陶食器輸出の不振 p82
不況のもとでの積極姿勢 p82
第2節 拡大する市場と茅ヶ崎工場の建設 p89
1. 内外の新たな展開 p89
満州事変勃発その後 p89
日陶連・陶輸連の結成 p89
森村系企業の結束 p89
2. 最盛期を迎える p93
景気回復をとらえる p93
高級衛生陶器の完成 p93
急伸する衛生陶器 p93
満州・中国市場の拡大 p93
食器生産技術およびデザインの充実 p93
陶食器・磁食器の販売と輸出 p93
3. 新しい衛生陶器専門工場の建設 p100
都市下水道需要の勃興 p100
東京市場と新工場立地 p100
茅ヶ崎工場の建設と稼働 p100
4. 経営基盤の確立と関連投資 p102
名実ともに優良会社に成長 p102
活発化した関連事業への投資 p102
第3章 戦時体制下の苦闘(昭和13年~20年8月) p107
第1節 準戦時体制に移行 p107
1. 経済統制の実施 p107
始まった国家統制 p107
厳しくなる統制のもとで p107
百木三郎の社長就任と運営体制の強化 p107
流通の様変り p107
2. 準戦時体制下での企業活動 p116
満州および中国市場と上海・奉天出張所の開設 p116
茅ヶ崎工場拡張計画の挫折 p116
百木社長の逝去 p116
衛生陶器臨時日本標準規格の制定 p116
第2節 大戦突入と破局 p122
1. 失われゆく経営主体 p122
陶磁器業界の企業整備進む p122
輸出の衰退および国内市場の変貌と食器生産の中止 p122
原燃料と労働力の窮乏化 p122
森村茂樹社長の就任 p122
2. 臨戦体制下の生産 p130
計画生産と企業整備の遂行 p130
付属金具製造へのアプローチ p130
代用品の生産 p130
3. 本業製品の生産止まる p135
茅ヶ崎工場を日本特殊陶業へ貸与 p135
衛生陶器から軍需兵器生産へ p135
空襲と工場疎開 p135
第4章 混迷のなかの再出発(昭和20年8月~23年) p169
第1節 平和産業の旗をかざして p169
1. 終戦直後の状況 p169
戦災をまぬがれた小倉 p169
インフレ・食糧難との闘い p169
生産再開に向けて p169
2. 生産の再開 p172
生産の再開と占領軍特需 p172
復興需要と営業の再開 p172
悪条件のなかでの生産活動 p172
水栓金具の自製開始 p172
陶食器の生産と輸出の再開 p172
戦時補償の打切り p172
過度経済力集中排除法の指定を切り抜ける p172
第2節 労使紛争の激化 p182
1. 労働組合の結成と労働協約の締結 p182
労働組合の結成 p182
労働協約の締結 p182
2. 遂に労使紛争へ発展 p183
紛争の背景といきさつ p183
クローズドショップ制をめぐる対立 p183
新労働協約の締結で争議終息へ p183
3. 長期ストとその解決 p186
待遇改善をめぐりスト再発 p186
無期限ストに突入 p186
江副孫右衛門の登場 p186
90日間にわたる紛争解決 p186
第5章 再建整備へ進む(昭和24年~30年) p193
第1節 会社再建へ向けて p193
1. 江副社長の就任 p193
スト後の処理 p193
江副社長の経営理念 p193
2. 企業合理化の断行 p196
ドッジライン下で p196
危機突破再建策をうちだす p196
人員整理を実施 p196
危機きわまる p196
第2節 軌道に乗った戦後復興 p201
1. 特需ブームと食器の輸出伸長 p201
朝鮮動乱の勃発 p201
特需で衛生陶器・水栓金具とも好調な伸び p201
第1次建築ブームの到来 p201
空前の記録となった食器の輸出量 p201
業績の好転 p201
2. 生産合理化に着手 p206
5ヵ年計画スタート p206
衛生陶器増産に向けて技術改良 p206
茅ヶ崎第二工場の建設 p206
金具生産の強化策に乗り出す p206
食器生産方針の変更 p206
貫いた良品主義 p206
3. 販売網の整備 p213
特約店制度スタート p213
相次ぐ販売拠点の設置 p213
大衆市場をめざす p213
4. 大倉和親逝く p216
第6章 高度成長下の飛翔(昭和31年~39年) p217
第1節 高度成長の幕開け p217
1. 大衆市場拡大の体制整う p217
大衆消費社会の出現 p217
住宅問題の深刻化 p217
日本住宅公団の設立 p217
2. プラスチック部門に進出 p220
基礎研究の開始 p220
わが国初のFRP浴槽に脚光 p220
各種プラスチック商品の開発 p220
3. 新商品の開発と新分野開拓 p225
新商品の開発 p225
新分野の開拓 p225
4. 社是の制定と商標の統一 p228
社是 p228
商標の統一 p228
第2節 急速な需要の拡大 p230
1. オリンピック開催にわく建設業界 p230
オリンピックブームにわく p230
下水道事業の本格化 p230
2. ユニットバスルームの開発 p232
開発の背景 p232
ユニットバスルームの開発に成功 p232
ユニットバスルーム普及への努力 p232
3. 量産技術の追求 p237
品不足の発生 p237
技術革新下の衛生陶器生産 p237
茅ヶ崎衛陶工場の増設 p237
滋賀工場の建設 p237
金具生産の合理化―付属金具から水栓金具へ― p237
本社社屋と東洋陶器ビルの完成 p237
4. 販売網の拡大 p244
特約店の拡充強化 p244
特約販売店制度の発足 p244
5. 売上高100億円突破―昭和40年代への課題― p246
第7章 新たな経営戦略の展開(昭和40年~47年) p249
第1節 企業体質の改善に取り組む p249
1. 創業50周年を迎える p249
40年不況 p249
住宅産業の離陸 p249
創立50周年を迎えて p249
2. 杉原社長の就任 p253
杉原社長の就任 p253
無借金経営の確立に向けて p253
従業員の意識改革 p253
QCサークルの活動 p253
第2節 経営の積極的推進 p256
1. 事業本部制の採用 p256
2. 5ヵ年計画の樹立 p258
3. 新規部門の開拓 p259
ホーローバスの生産開始 p259
洗面化粧台の開発 p259
食器部門の廃止 p259
4. 相次ぐ工場の新増設 p263
急務となった新工場の建設 p263
小倉第二工場 p263
中津工場 p263
大分工場 p263
行橋工場 p263
小倉衛陶工場 p263
5. 花開く住宅設備機器 p267
住宅ブームのなかで p267
変貌する住宅設備機器 p267
カラー化時代を築く p267
6. 企業イメージの拡大 p272
「東陶機器」の誕生 p272
銀座パビリオンの建設 p272
活発になった広告宣伝活動 p272
7. 新たな販売戦略 p275
相次ぐ新規参入と競合激化 p275
浴槽販売体制の強化 p275
営業拠点の拡大 p275
8. 杉原社長の逝去 p279
第8章 構造変化への対応(昭和48年~54年) p281
第1節 石油危機下の経営 p281
1. 黒河社長の就任 p281
黒河社長の就任 p281
5ヵ年計画の達成 p281
第2次5ヵ年計画の策定 p281
2. 石油危機の発生 p283
景気の過熱 p283
品不足に対処し生産体制を再編 p283
石油危機の直撃 p283
第2節 高度成長時代との訣別 p287
1. 厳しい経営環境 p287
総需要抑制策の浸透 p287
操業短縮の実施 p287
値上げ中止問題 p287
2. 激動期の販売活動 p290
浴槽特約店制度の発足 p290
乱戦市場に挑む p290
3. 経営施策の転換をはかる p293
住宅需要の構造変化 p293
事業本部制の廃止 p293
長期経営計画の変容 p293
4. 商品開発力の強化 p297
商品開発の新たな方向 p297
節水器具の開発 p297
研究所の設置 p297
5. 低成長下での業績回復 p300
進む省力化 p300
売上高1,000億円の達成 p300
第9章 「理想の会社」の実現をめざして(昭和55年~62年) p305
第1節 成熟化する国内市場への対応 p305
1. 積極的な経営展開 p305
新たな出発 p305
TOTOフェア'80 p305
2. 成熟市場下のマーケティング戦略 p307
成熟化する住宅市場 p307
多様化する商品群 p307
増改キャンペーンに取り組む p307
販売体制の充実 p307
ユーザー密着型の営業展開 p307
3. 生産技術の進展 p314
新たな課題 p314
衛生陶器生産技術の革新 p314
水栓金具無人化への挑戦 p314
第2節 新たな歴史の創造に向けて p317
1. 強固な事業体質の確立をめざして p317
新たな事業体制の確立 p317
第5次5ヵ年計画の発足 p317
TQC(全社的品質管理)活動の導入 p317
2. 新局面を迎えた海外事業 p321
新段階にはいった海外事業 p321
海外事業本部の設置 p321
国際企業への展開 p321
今後の海外事業 p321
3. 未来を開く商品開発 p325
相次ぐヒット商品 p325
新たな技術パラダイムの構築 p325
4. 飛躍を支える諸施策 p330
情報・物流システムの構築 p330
企業文化の核―TOTO文化情報センター― p330
品質保証体制の強化 p330
東陶グループの強化 p330
5. 「理想の会社」の実現をめざして p337
経営計画の推進 p337
安定した経理内容 p337
福祉制度の充実 p337
良好な労使関係 p337
地域社会との共存 p337
福祉器具の開発 p337
「理想の会社」の実現をめざして p337
6. 創立70周年を迎えて p344
アクア・ヒューマニア'87 p344
創立70周年を迎えて p344
〔資料・年表〕 p373
資料 p373
年表 p410
編集後記 NP
参考文献・写真提供 巻末
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