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(株)三和銀行『三和銀行の歴史』(1974.12)
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目次
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資料編
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目次項目
ページ
序章
p1
第一編 前史に活躍した経営者たち
p7
第一章 両替商から銀行へ
p8
両替商時代の鴻池と山口
p9
大名貸で伸びた鴻池
p9
唐反物商から両替商に転業した山口
p9
明治維新と鴻池・山口
p15
新政府の財政を助ける
p15
大阪為替会社の経営に参加
p15
第三国立銀行の創立へ動く
p15
第二章 国立銀行の時代
p22
三国立銀行の創立
p23
鴻池家の銀行
p23
呉服商人がつくる
p23
山口家の銀行
p23
鴻池家と第十三国立銀行
p26
貯蓄預金を始める
p26
土居通夫の改革
p26
岡橋治助と第三十四国立銀行
p30
堅実な経営方針
p30
新興企業へ目を向ける
p30
山口家と第百四十八国立銀行
p34
西田永助を中心に
p34
土蔵造りの新店舗
p34
三国立銀行と大阪財界
p37
鴻池・山口への衆望
p37
第三章 普通銀行の時代
p40
大阪財界の人材導入
p40
三十四銀行のあゆみ
p42
小山健三の入行
p42
経営方針を明らかにする
p42
行内の刷新
p42
日糖事件で私財を提供
p42
業務の多角化を進める
p42
向上する金融界の地位
p42
東の渋沢、西の小山
p42
新しい業務の発展
p42
行内から初の役員が出る
p42
菊池恭三の頭取就任
p42
山口銀行のあゆみ
p57
町田忠治の入行
p57
人材の登用から始める
p57
多店舗主義と人を見ての貸出
p57
坂野兼通の入行
p57
急伸した業績
p57
広がる事業網
p57
株式銀行に発展
p57
佐々木駒之助責任者に
p57
鴻池銀行のあゆみ
p71
鴻池家の力を引き出した島村久
p71
原田二郎の入行
p71
保守主義に徹す
p71
方針転換のきざし
p71
加藤晴比古の入行
p71
一新された経営方針
p71
第二編 創立と基礎づくり
p83
第一章 合併への胎動
p84
金融恐慌と金解禁
p84
鈴木商店と台湾銀行
p84
激しかった阪神地方の取付け
p84
金融恐慌の影響
p84
失敗に終わった金解禁
p84
菊池の決断
p84
不況下の山口・鴻池両銀行
p84
合併へ踏み出す
p99
日銀が斡旋役に
p99
各銀行の意向
p99
申合書に調印
p99
秘密保持の苦心
p99
難航した頭取の決定
p99
行名も決まる
p99
第二章 三和銀行の創立
p113
合併の発表と反響
p114
小異を捨て大同につく
p114
当時の新聞論調と行員たち
p114
進む開業の準備
p114
大衆に基礎を置く銀行
p114
うぶ声をあげる
p123
創立の日
p123
預金十億円のトップバンク
p123
第三章 中根頭取の経営方針
p131
基礎づくりの四年間
p131
三和主義と三業主義
p131
毎月九日に頭取書簡
p131
最初の人事異動
p131
進む一体化
p131
険しくなる商業銀行の道
p131
岡野清豪の入行
p131
転換を迫られる経営方針
p147
店舗の増設へ
p147
戦時経済への適応
p147
東京本部の新設
p147
積極策をとる
p147
第三編 ピープルズ・バンクを守る
p159
第一章 苦難期の経営
p160
未知の領域へ
p160
合併の危機を切り抜ける
p162
強まる金融統制
p162
銀行の合併進む
p162
大阪貯蓄銀行と三和銀行
p162
三和信託を合併
p162
戦時中の合併銀行
p162
大阪系銀行にも合併の動き
p162
絶対反対を貫く
p162
戦争末期の状況
p178
三和銀行と軍需融資
p178
首位から四位へ
p178
人手不足と女子の登用
p178
増大する戦争の被害
p178
岡野清豪の頭取就任
p187
第二章 激動期の岡野清豪
p190
危機強まる
p190
預金封鎖と新円の発行
p190
財閥銀行の指定に抗議
p195
意外だったA項指定
p195
大衆銀行を実証する
p195
岡野頭取の辞任
p201
混乱期の行員生活
p201
第四編 新しい経営戦略
p207
第一章 渡辺忠雄の頭取就任
p208
入行前後の事情
p208
資本金十億円で再出発
p212
揺れ動く内外情勢
p212
行内の空気を明るくする
p212
再建整備への道
p212
予想外に多かった損失
p212
再建後の基本方針
p212
積極性をもて
p212
基礎固めに踏み出す
p223
親しさも名も変わらない三和銀行
p223
ブレーンの強化
p223
紡績の復興に協力
p223
外国為替業務の基礎づくり
p223
ドッジラインの影響
p223
三福定期を始める
p223
行員の生活
p223
第二章 基本路線を決める
p239
朝鮮戦争始まる
p239
重化学工業化と東京地区の基盤強化
p241
総務部の設置
p241
産業構造に転換の動き
p241
重化学工業化の方針を打ち出す
p241
まず東京に三十か店を
p241
低い知名度のなげき
p241
ピープルズ・バンクの旗を高く揚げる
p253
基本路線の表明
p253
昭和二十七年という年
p253
進む金融機関の整備
p253
合理化、機械化に取り組む
p253
昭和二十九年の不況と繊維商社問題
p262
大阪の繊維商社
p262
筆舌に尽くせぬ苦労
p262
第三章 はじめての海外支店
p268
外国為替銀行に指定される
p268
サンフランシスコ支店生まれる
p271
海外進出への努力
p271
海外駐在員の派遣認められる
p271
支店開設にこぎつける
p271
外国為替業務の伸展
p271
人材の採用と養成
p280
若手を積極的に登用
p280
災害にもめげず
p280
行員の生活
p280
第四章 創立二十周年と本店新築
p288
創立記念日
p288
二十周年の預金増強運動
p290
戦後のオーバーローン
p290
預金二千億円への努力
p290
行史の刊行と新バッジの制定
p290
念願の本店新築なる
p300
ねばり強い交渉
p300
設計の構想
p300
はれの竣工式
p300
第五編 積極経営の展開
p309
第一章 飛躍への序曲
p310
転機を迎えた内外の動き
p311
もはや戦後ではない
p311
新本店に新風まきおこる
p311
フロンティア・スピリットを強調
p311
経営合理化への動き
p311
第二章 東洋信託銀行の創立
p321
信託分離か非分離か
p322
好調だった信託部門の業績
p322
賛否両論にわく
p322
決断をくだす
p322
野村証券の参加
p322
新信託銀行の誕生
p330
国民生活に直結した金融機関
p330
転出行員の説得
p330
首都圏充実のきっかけ
p330
第三章 渡辺会長・上枝頭取のコンビ誕生
p336
上枝一雄の頭取就任
p337
上枝頭取の経営方針
p337
渡辺の横顔と経営理念
p340
竹馬の友が語る
p340
野に立つ一本杉
p340
財閥系銀行に対抗して
p340
海外への進出と体質の改善
p340
信託分離
p340
人材の育成
p340
第四章 大衆化競争のなかで
p351
ネットサービス預金の誕生
p351
花開く三和銀行のアイデア
p353
大衆化競争の背景
p353
新種預金が次々に登場
p353
最初の消費者金融
p353
消費者金融を推進する
p353
新兵器の活用を
p353
皆さまのコンサルタント
p353
広がる店舗網
p353
行内の体制を整備する
p368
研修課の設置
p368
銀行に無縁の人たちの銀行
p368
銀行界最初の電子計算機
p368
創立三十周年を迎える
p376
効果をあげたみどりのカード
p376
映画・日本の国立公園
p376
「親しまれる」から「お役に立つ」へ
p376
周辺業務の誕生
p382
JCBを設立
p382
オリエント・リース
p382
第五章 国際的銀行への足固め
p389
ロンドン支店とユーロダラー
p390
支店の業務
p390
ユーロダラーに取り組む
p390
外国為替業務の発展
p394
貿易為替の自由化進む
p394
商社為替とメーカー為替
p394
外国部の主体を東京へ
p394
外国為替要員の充実
p394
ニューヨークと香港にも支店
p402
ウォール街に待望の支店
p402
アジアで最初の海外支店
p402
第六章 重化学工業の発展とともに
p407
グループづくりのきっかけ
p407
重化学工業化を推進
p410
神武景気と岩戸景気
p410
東京地区の基盤強化
p410
ピープルズ・バンクを貫く
p410
石油化学グループの結集
p415
丸善石油を中心に
p415
五井計画と堺計画
p415
グループづくりの考え方
p415
参与役の役割
p415
試練の時代
p423
利益なき繁栄
p423
丸善石油の苦境
p423
宮森の出馬
p423
三十九年不況と五井・堺のコンビナート
p423
都市銀行のオーバーローンつづく
p423
第六編 世界のサンワへ
p435
第一章 四十年不況から立ち上がる
p436
不況台風にも負けず
p436
企画室を設置
p436
営業部門を一本化
p441
総預金が二兆円をこえる
p441
業務本部制をしく
p441
オンラインへの道
p447
東洋コンピューターサービスを設立
p447
サンバック・システムを実施
p447
サンバック・システム事始め
p447
体制の立て直しを迫られる
p452
四十五年苦境の反省
p452
業務改善委員会を設置
p452
第二章 環境変化への対応
p458
JCBを開放
p458
多様化時代にこたえる周辺業務
p461
開拓者としての苦労が実る
p461
ソフトなグループづくり進む
p467
万国博とみどり館
p467
三水会の誕生
p467
新しい産業への挑戦
p467
グループ四十万人のかけ橋・みどり会
p467
時代を先取りする融資構造
p479
上枝頭取の辞任
p480
上枝の横顔
p480
第三章 村野辰雄の頭取就任
p484
転換期を迎える
p484
村野頭取の経営方針
p484
リスク・テイキングの思想
p484
新時代を展望する事務と業務の体制づくり
p490
新しい業務体制の役割
p490
事務本部の新設
p490
住宅ローンに力を入れる
p493
ローンは系列よりも強し
p493
住宅ローンのシステムを開発
p493
お役に立つ銀行の実践
p493
顧客ニーズの多様化にこたえる新種預金
p493
充実する店舗網
p501
首都圏に重点
p501
開店日の感激もひとしお
p501
わが国初の円形店舗
p501
第四章 国際的大銀行への道
p508
国際化進む
p508
海外拠点を相ついで設置
p508
外国部から国際本部へ
p508
国際的な視野をもった人材を
p508
進展する国際化戦略
p516
国際投資銀行に着目
p516
アメリカ法人の加州三和銀行
p516
ブラデスコ投資銀行に資本参加
p516
世界の人々のお役に立つ銀行
p516
都市銀行としてはじめて中国を訪問
p516
親切店舗の横顔
p516
第五章 創立四十周年とサンワ東京ビル
p535
四十年を振り返る
p535
宿願の東京ビルが完成
p537
ビル用地の入手まで
p537
みどり色の鉄骨が伸びる
p537
五つの特徴
p537
神からの賜物
p537
創立四十周年をこえて次の世代のために
p548
みどりを基調に
p548
新行歌生まれる
p548
四十周年の三本柱
p548
プラス百万人運動の展開
p548
業務・事務体制の確立
p548
豊かに実ったユア・バンク運動
p548
めざましい個人預金の増加
p548
歴史は次の世代のためにある
p561
両替商
p21
バンク・銀行
p39
請願巡査と駆付人足
p82
取付け騒ぎ
p98
行名の候補
p112
保持された機密
p130
銀行の営業時間と休日
p157
戦時中の企業整備
p189
普通預金の生い立ち
p206
頭取
p238
銀行通信録
p267
ある外人株主の提案
p287
銀行のPR映画
p307
明治時代の提案制度
p320
信託のおこり
p335
行員の養成
p350
女子行員の誕生
p388
ドルの起源
p406
重工業と鴻池
p434
手形
p457
第五回内国勧業博覧会
p483
戦前の消費者金融
p507
マーチャントバンクと日本
p534
資料
〔2-〕1
年表
〔2-〕39
索引リスト